小橋 昭彦

小橋 昭彦 2005年7月14日

 あるイベント会場からの帰り、友人と進化についてのとらえ方の話になった。たとえばキリンの首が長いのは、一般には「高い木の葉を食べるため」と考えてしまう。しかしそう表現すると、キリンに首を長くする意思があるように受け取れる […]

小橋 昭彦 2005年7月7日

 音楽はぼくたちにとって何なのだろう。ある研究者が言うように、チーズケーキのように好みの問題なのか。ノーマン・D・クック教授による実験がある。「宝くじで10万円が当たった」といった喜びや「探したけれど、見つからなかった」 […]

小橋 昭彦 2005年6月30日

 リアルとまぼろしの境界。ノースウエスタン大学の研究者らが昨年発表したひとつの実験結果がある。被験者に磁気共鳴画像装置に入ってもらい、単語リストを見せながら、それぞれの単語が表すものを思い描いてもらったもの。なかには実際 […]

小橋 昭彦 2005年6月23日

健康に気をつかうのは、あたりまえなのだろうか。健康観の変遷を振り返りつつ、そんな疑問が頭をもたげてきた。健康という言葉が日本に根付いたのは明治になってからのこと。衛生観が根付いたいきさつは以前のコラムで書いたけれど、健康 […]

小橋 昭彦 2005年6月16日

 都道府県を組み合わせるパズルを子どもとしながら、なんとはなしにウェゲナーのことを思い出していたのだった。南アメリカとアフリカの海岸線が似ていることからかつてはくっついていたと考え、インドのゴンド民族の土地で発見した氷河 […]

小橋 昭彦 2005年6月9日

 ヴォイニッチ手稿という文書がある。1912年に発見された、奇妙な文字で書かれた中世の文書。暗号だと言われ、第二次世界大戦で日本海軍の暗号を破った米軍の暗号解析者たちが手遊びに解読に挑戦するなどしてきたけれど、いまだ誰も […]

小橋 昭彦 2005年6月2日

できるだけ使わないようにしている、と知人の社会学者が言っていた。それほど便利でなんだか納得した気になってしまうからと。 ミームという言葉は、リチャード・ドーキンスが『利己的な遺伝子』で提唱した用語で、生命のように文化も進 […]

小橋 昭彦 2005年5月26日

 反省という言葉を覚えたのはいつだったろう。授業で反省文を書く課題があり、そのときに言葉の意味とともに学んだのだったか。ニスベットの『木を見る西洋人 森を見る東洋人』の一節に「日本の子どもたちは、学校で自己批判のしかたを […]

小橋 昭彦 2005年5月19日

 地元集落の隣接地に自動車解体工場が建設されることになり、ごたごたしていたのだった。リサイクル法によって地域への配慮がなされるようになっているとはいえ、何も里山の地にわざわざという思いがある、一方で住民自身、車がないとや […]

小橋 昭彦 2005年5月12日

 パンダ、サル、バナナから仲間二つを選ぶとき、東洋人はサルとバナナを仲間と答える傾向があることを前回紹介した。同じ実験をpanda,monkey,bananaと英語でやるとどうか。いったん母国語に置き換えない程度のバイリ […]

小橋 昭彦 2005年4月28日

 心理学に「パンダ、サル、バナナ」から仲間二つを選ぶ実験がある。日本人ならサルとバナナを選ぶ人が多いのではないだろうか。中国人もそうだ。これがアメリカ人だと、パンダとサルが多くなる。欧米人はものごとをカテゴリー化してとら […]

小橋 昭彦 2005年4月21日

幼い子を叱るのは難しい。ダメと言うだけでは怒っているにすぎないと「そんなことをしたらお母さんが悲しむよ」と言ってみる。一方で、他人の気持ちを察するのは3歳の子には難しいとも思う。上の子が4歳のときだったか、「他の人の気持 […]