反省という言葉を覚えたのはいつだったろう。授業で反省文を書く課題があり、そのときに言葉の意味とともに学んだのだったか。ニスベットの『木を見る西洋人 森を見る東洋人』の一節に「日本の子どもたちは、学校で自己批判のしかたを教えられる」とあるのを読んで、そんな思い出を探りなおしていた。
一方、米国では自尊心を高めることが教育テーマになっているとニスベットはいう。日経サイエンスに掲載された別の研究者らによる論文を参考にするなら、自尊心を高めれば学業成績があがるし、薬物の乱用や犯罪を防ぐ効果もあると考えられたかららしい。アメリカっておもしろいと流せなかったのは、日本でもこのところプラス思考が必要とよく耳にするからで。論文のタイトルもまさに「前向き志向で成功できるか」である。
自尊心が低い人は偏見が強いという説がある。偏見を無くすためにも自尊心を高めなくてはいけないと続くのだろうけれど、冷静に考えれば、自分を否定的に評価する人が他者も低く評価するというのは、一貫性があるというだけのことかもしれない。自尊心研究にはこうした因果関係を解明する難しさが伴う。最近の研究では、自尊心を高めても学業や仕事の成績が上がる可能性はあまりないことが分かってきているという。
もっとも、自尊心が高い人は積極性があるし、人生を幸福に感じる傾向も強いというから、プラス思考に価値がないわけではない。その一方で、反省文だって自分をおとしめるためじゃなく、環境を振り返って戦略を練り直す効果がある。
荘子に「木鶏(もっけい)」の逸話がある。闘鶏を育てるのに、強さを誇らず状況に動じない、木彫りの鶏のようになってはじめて良しとする。プラス思考ができないからといって自分を責めることは無い。今の自分を認め、その立ち位置でもって、木鶏たるを志す。そんな生き方もまた良しである。
『木を見る西洋人 森を見る東洋人』は以前のコラム「キノコ喰いロボット [2005.04.28]」でも取り上げたことがありましたね。
科学誌の論文というのは、日経サイエンス2005年4月号掲載の「前向き思考で成功できるか」です。米国には「全米自尊心協会(National Association for Self-Esteem)」なんてのもあるんですね。
意外でした。私は、自尊心が低い人は周りの人を過大評価していて、自尊心の高い人は周囲を過小評価しているのだと思ってました。
自分は自尊心が高い方かどうかを考えてみると、よく分からない。
自分のことはよく分からないものです。
以前 何もかもが上手く回っていました。自分は このまま頑張れば 「もっと上を狙える」なんて思っていました。実力も野心も人並以上だと考えておりました。 ただ 世の中がバブルなだけでした。
今は 自分の立っている場所を守っていくのに必死です。そうなるまで 全く回りが見えていませんでした。
どうやら ボクの持っていたのは 「自尊心」ではなく ただの「思い上がり」のようでした。
ここ何年かで やっと他人の気持ちを考えるようになってきたと思います。
tomさんの 言うとおり自分のコトは よく分からないですネ。
自尊心を高めようとはいいますが
何事もバランスだと思いますがね。
昔、
「prideを持て! しかし、proudにはなるな!」
と教わりました。
仕事に誇りは必要ですが、それがいきすぎてお局様状態になってはいけないと。
いまでも、事あるごとに思い出しています。