心理学に「パンダ、サル、バナナ」から仲間二つを選ぶ実験がある。日本人ならサルとバナナを選ぶ人が多いのではないだろうか。中国人もそうだ。これがアメリカ人だと、パンダとサルが多くなる。欧米人はものごとをカテゴリー化してとらえるのに対して、東洋人は関係性や文脈に注目するという。
これをもってあなたは西洋タイプ、東洋タイプと遊んでもいいけれど、むしろ重要なのは、両者が違う世界の見方をしていると気づくことだ。同じ桜を見て「きれいだね」とうなづきあったとしても、一方は古寺を背景とする色合いを誉め、一方はやがて散るはかなさゆえの輝きを愛でているかもしれない。
心理学の戸田正直氏が提唱し、人工知能分野でも知られている思考実験に、キノコ喰いロボットというのがある。キノコを食べて自活するロボットをある惑星に送ったとき、どのような要素が必要になるか、という問いだ。キノコを見分ける能力、キノコのある場所を推測する能力などはもちろんだけれど、より難しいのは、自分がどれだけのキノコを食べていいかというルールだろう。
キノコは有限だ。一体のロボットからすれば食べたいだけ食べる方が有利だけれど、みんながそれをするとキノコが無くなり滅亡する。それに近い経験を経て、やがてロボット社会にはキノコを食べ過ぎると森の神が怒るといった神話が生まれたり、遠慮につながる感情が生じるかもしれない。こうして惑星に適応していくために、社会制度や個人の心理が築かれていく。
東洋と西洋の違いを生んだのはどんな自然環境、社会環境だったか。何千、何万年の過去に思いをはせるとき、ぼくたちは少し、相手に対して優しくなれる。この瞬間の違いを取り立てるより、互いが違う世界を見ていると知った上で、ともに生きていく。同じ桜を前に違う意味で「きれいだね」と言ったとしても、互いを受け容れていれば、肩寄せ合うひとときはあたたかい。
文化心理学という分野があるのですが、これは以前「自分って何 [2003.08.21]」でも取り上げました。
パンダ、サル、バナナの実験は、「Richard Nisbett」博士らによるもので、氏の著書『木を見る西洋人 森を見る東洋人』で取り上げられています。この書籍、文化心理学の楽しい入門書となっています。日本では「北山忍」博士が著名で、『自己と感情』がおすすめ。
それから、社会環境というマクロと個人心理というマイクロな関係を適応という視点でとらえた書に『複雑さに挑む社会心理学』があります。これも面白いです。
昨日 朝のミーティングでこの件を聞いてみました。11人中9人が バナナ、サルでした。残りの2人がパンダ、サルでしたが どうも この2人 自己中心とは言わずとも 少し協調性に難がある。仕事は出来るのだが チームの他のメンバーに対して「フォローしてやろう」と言う気持ちは ないようです。その事も含めて「仕事」なので リーダーには なれないでしょう。本人達は 気付いていないようで 「ウチの社長 分かってないナ」と 思っているでしょう。
欧米では ココの所は どうなんでしょう?
しゃあさん、ありがとうございます。
ここまでみごとに結果にあらわれ、かつリーダーシップとの関係を見抜かれたことに脱帽です。これはとてもおもしろい視点ですね。欧米ではどういうリーダーが求められるのか。日米比較をすぐに思い出せませんが、ちょっと気にとめておきます。
『食べたいだけ食べる方が有利』というのは『子孫繁栄』を前提とした考え方だと思います。子孫繁栄という目的が無ければ有利不利という概念自体不必要ではないでしょうか?
シュミレーションとしての仮想実験なら、ロボットの自己複製機能や『死』、それから実際の生物では有ったであろう、繁殖力の差による『淘汰』などの条件を考える必要があるのではないかと思います。
そういうことを想像するのは楽しい事ですが・・。