小橋 昭彦

小橋 昭彦 2003年11月2日

 都市部から来た子どもたちが、どじょうをすくおうと田んぼに入った。おそるおそる足を踏み入れていたのに、すぐに「予想以上におもしろい」とはしゃいでいたのが印象的で、泥にまみれた手足をみながら、「きれい」って何だろうと、そん […]

小橋 昭彦 2003年10月30日

 なにげなく接していたものが、ある日とつぜん不思議に見えてくるという経験が、ときにある。たぶんそれは誰でも持っている感性で、「そそそそそ」と文字を連ねていると、「そ」という文字のあり方にだんだん自信が持てなくなって、それ […]

小橋 昭彦 2003年10月27日

 子どもが「ブロックしよ」とせがむものだから、何日かに一度はブロックを組み立てる。H型や井型、丸型などが揃ったプラスチック玩具。「何つくろ」問うと「何でもいいで」と答える、そんなときはしばし呆然としている自分に気づく。二 […]

小橋 昭彦 2003年10月23日

次元のない数というと穏やかじゃないけれど、つまりは単位のない数と考えるといい。たとえば、同じ10キロ痩せたといっても、関取の場合とぼくでは事情が違う。そこで、もとの体重を仮に100として現在と比較する。体重200キロの力 […]

小橋 昭彦 2003年10月20日

 痛みは主観的なものだけに、比較するのが難しい。男と女に同じ刺激を与えて申告させる実験だと、男の方が耐える。ただ、観察をする研究者が女性だと耐えるレベルが高くなるという報告もあり、生理的というより、体面上耐えているだけと […]

小橋 昭彦 2003年10月16日

不快な感覚性・情動性の体験であり、組織損傷を伴うものと、損傷があるように表現されるものがある。 国際疼痛学会は痛みをそう定義する。痛みはぼくたちを危険から遠ざけ、患部を知るのに欠かせないが、必ずしも身体が傷ついたときにだ […]

小橋 昭彦 2003年10月13日

 やってしまった。テーブルから落ちた茶碗は、のぞきこんだときには砕けている。ゆっくり割れてくれれば手の施しようもあるのに。調べてみると、割れ目はほぼ音速で広がるとあってはっとする。そうか、音が振動の波であるならば、外部か […]

小橋 昭彦 2003年10月9日

 どうした会話の流れだったか、5歳の息子が「ぼくも泣くことあるで」と言う。どんなときと尋ねると、「お父さんがこわいこと言うたとき」「ふんふん」「それからな、うれしいときも泣くで」。小さなうちから嬉し涙を知ってるんだな。人 […]

小橋 昭彦 2003年10月6日

 寺田寅彦記念館から高知県立文学館に移動、記念室を訪れる。腰をおろして見たのは、彼が行った実験を再現した数分間のフィルム。なかで、生物の模様をとりあげた巻が心に残った。飼い猫の模様を弟子に写させ、胚分割の割れ方と比較、模 […]

小橋 昭彦 2003年10月2日

 20年あまり前。科学者カール・セーガンが進行役となった『COSMOS』というテレビ番組があった。印象深い番組だったが、ミラー”ユーリー反応を紹介したシーンが今も記憶に残る。稲妻が光る原始地球を再現した実験 […]

小橋 昭彦 2003年9月29日

 このコラムの下調べをしつつ、何度もあくびをしてしまったことを白状する。眠る前だった昨夜はともかく、今朝はさわやか、窓も全開。あくびは集中力がない証拠、酸素不足が原因なんていう説はどうも疑わしい。事実、空気の状態を変えて […]

小橋 昭彦 2003年9月25日

 なぜ、ぼくたちは二足で歩くのだろう。手を大地から離し、直立したきっかけは何だったのか。二足歩行はヒトを定義する重要な要素だけれど、この根本的な問いに対して、いまだ定まった説明はない。 大地溝ができて東側がサバンナになり […]