小橋 昭彦 2003年10月30日

 なにげなく接していたものが、ある日とつぜん不思議に見えてくるという経験が、ときにある。たぶんそれは誰でも持っている感性で、「そそそそそ」と文字を連ねていると、「そ」という文字のあり方にだんだん自信が持てなくなって、それはほんとうにそういう形だったか、そもそもなぜそんな形なのかと考え込んでしまう、そんな経験を多くの人が持っているのじゃないだろうか。
 いま手もとにあるペーパークリップにしてもそうだ。針金を二回まわした楕円形の、いわゆるゼムクリップとして知られているもの。技術史に詳しいヘンリー・ペトロスキー博士の著書でその歴史をたどっていて、多くの工夫が重ねられた結果、そこにあることを知る。そうするとがぜん、不思議になってくるのだ。外側の円周と内側の円周の間隔はなぜこの距離だったか。針金の先が円周より短いのはなぜか。紙からはずすとき、針金の先が短いため紙にひっかかったりするのに。
 ペーパークリップが発明される前、人々は小数の紙を留めるのにピンで貫いていた。ゼムクリップはノルウェー人の発明と言われているそうだけれど、それに先立つ1899年、米国の技師がクリップを作る機械の特許を取っていて、そこに完全なゼムクリップの形が見える。発明品が市場に出回るには、製造機械と切り離せない。ゼムクリップを手作業で作るなら、人はピンを使い続けたかもしれない。
 これまで多くのペーパークリップが考案され、特許をとってきた。今でも見られる三角形のクリップや紙を挟みやすいように先端が持ち上がったクリップ。日本での特許広報を検索すると、2003年に入ってからでも、ペーパークリップの特許が新しく取得されてもいる。加えて、ボールペンのキャップやメモパッドをはじめ、クリップする機能が含まれる製品の数々。見なおせば、工夫の余地はまだまだあるのだ。今あらためて身の回りを眺めると、すべての品々が「発明してくれ」と訴えている、そんな気にさえ襲われる。

6 thoughts on “ペーパークリップ

  1. 小橋さんのコラム、昨日初めて辿りつき、一気に60まで楽しく読ませていただきました。
    そそそそ・・・・それは「0」作用かなと思います。
    人間は瞬きをしないで物を見つめていられるのは12・3秒のことだとか。それ以上は個人差があるけれど、その形が部分的にボケて最終的には見えなくなったり、訳がわからなくなるそうですね。それゆえ、耐えず瞬きをしたり、ちらちらと他へ視線を移しては叉戻し、他のものとの差で対象の形を認識している、と言うことらしいですね。
    つまり、モノとモノは全く同じだと認識があいまいになる。だから距離が必要らしい。
    私はカバリスト(神秘探索者)なのでつい数字の世界に飛んでしまいました。差がないものは「0」と言う訳です。
    人は常に新しいものへと心が移る。性(さが)ですかね。
    でもそれが新しい発見へ繋がってもいて、面白いですね。

  2. ゼムクリップなどの形状ですが、一般的に「楕円形」とは言わず「長円形」と言うのでは?

  3. ツッコミさん、鋭い。おっしゃるとおりですね。訂正いたします。

  4. >なにげなく接していたものが、ある日とつぜん不思議に>見えてくるという経験が、ときにある。
     
    ある(何でも良い)漢字をずっと見ていると、その漢字がパーツに分解されるような感覚を突然覚え、その意味や漢字が認識しにくくなるという現象があります。
    ゲシュタルト崩壊、って現象だそうで。

  5. でんぶさん、ゲシュタルト崩壊って心理学用語なんでしょうか?
    ずっと見ているってところで、視覚の問題かと思っちゃったりして。。。
    でもちゃんと検索して見ました。
    勉強になりますねぇ。ありがとうございました。

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