子どもが「ブロックしよ」とせがむものだから、何日かに一度はブロックを組み立てる。H型や井型、丸型などが揃ったプラスチック玩具。「何つくろ」問うと「何でもいいで」と答える、そんなときはしばし呆然としている自分に気づく。二つ、三つ組み合わせてみるが、手もとはさまよって。子どもが飛行機なりロボットなりを作っているのを見て、ようやく「よし、お父さんもロボットだ」とスピードアップ。組み合わせが、二足歩行ロボットに、あるいは宇宙戦艦になっていく。
自由に何かを創れるほど不自由なことはない。皮肉にもそう思う。ロボットなり飛行機なりのカテゴリを与えられてようやく、ぼくは創造に移っている。それが心理学実験でも裏付けられていることを、『創造的認知』と題した書籍で知った。被験者にさまざまな形状の部品を示し、発明品を作るように指示する。部品を自由に選べるグループとランダムに抜き出した指定されたものを利用するグループがある。また、カテゴリも「家具」「武器」などから自由に選べるグループとランダムに指定されるグループがある。すると、もっとも創造的な発明品を生んだのは、部品、カテゴリとも指定されたグループだったのだ。
別の実験では、先にカテゴリが決まっていて部品を組み合わせるより、まず何も考えずに部品を組み合わせて形を作り、あとでカテゴリが指定されて、それに合う解釈を迫られたほうが、創造的な発明を多く生んでいる。まず発明に先行する形があって、後ほど与えられる解釈という物語が、創造性を生んでいるわけだ。
そういえばぼく自身、まずテーマを選び、それをどう解釈するか、どんな視点でみるかに苦心して、千篇の「物語」を届けてきたのだった。ぼくたちが今、何かを生み出せないでいるとすれば、それは制約や環境のせいじゃない。それに負けない物語力を、ぼくたちは持っている。
書籍『創造的認知』をご参照ください。ジェネプロア・モデルを提唱。訳者の「小橋康章」さんのサイトもあります(同じ名字ですが、つながりはありません)。また「日本創造学会」もご参考に。その他研究者関連で、「駒崎久明」さん「吉田靖」さん「堀浩一」さんのページにも論文など参考情報があります。創造性に関する研究は「認知科学」とも関連して、いまもいろいろ進んでいるところですが、日本ではなんと言っても定番「KJ法」ですね。その他、「クリエイティブ・サーチ」「発想支援システム」もご参考に。
最後の2行目の魔術師さま
今日の雑学1000号発刊おめでとうございますと共にお疲れ様です。私とこの雑学との出会いは発刊当時、社内のWeb管理を任されメインページのキラーコンテンツを探していたときに発見し、「雑学ページ」リンクで当時のWeb化への浸透に威力を発揮させて頂きました。息子さんの遼太朗君と同世代の息子を持ち、いろいろな子供の成長をタイムリーに共感できた事を懐かしく思います、息子も5歳(早生まれ)で来年から小学校に上がるようになり、子供の歴史と共に雑学.COMを歩んでいると実感します。
今後とも「雑学.COM」を楽しみにしています。
同世代38歳のサラリーマンより。
長男と次男は2歳違いです。ブロック遊びが得意な長男は取りあえず作り始めてからイメージを膨らませていたようです。次男はというと、兄の作ったスゴイ作品を見ているので、同じように作れないことに腹を立ててよく泣いていました。
自由に創造性を発揮する長男と、常に兄を意識して追いつき追い越そうとする次男。同じように育てようとしてもどうしようもない部分ですよね。
今長男は大学2年生、次男は高校3年生。あのころの長男の創造性と次男の負けん気はどこに行ってしまったのか。どっかで芽をつむようなことしたかしらん???
毎回、楽しみに読ませていただいております。いつもながら、小橋様の幅広い知識、テーマを見つけるパワー、話題を喚起させる文章力に感心しております。
さて、今回のテーマ(ある程度のシバリがあったほうが、かえって創造力を働かせやすい場合がある)に関連してですが、読者から、「こんなテーマでコラムを書いてみて」とお題を頂戴するキャンペーンはいかがでしょうか。
藤山寛美氏のリクエスト芝居や、紙切り師匠の高座というワケでもないですが、ひとつ「どんな話題でもこなせる」という名人芸を見せてください。
記念すべき1000号おめでとうございます。尽きることのない創造性とただの雑学に終わらせないヒューマニティに惹かれて、愛読しています。
子どもにおもちゃを与える際に、「○○用ブロック」を与えてはいけないんです。ただのブロックだからこそ、「よし、○○をつくってみよう」「今度は××をつくってみよう」と思うのです。そして「××のこの部分に適するものがないから・・・よし、あれを替わりに使ってみよう」という想像力が生まれるのです。
公園の遊具に「遊び方」が書かれているときがありますよね? 私はあれをみると悲しくなります。自分は「遊び方」どおりに遊んだっけ? いろんな「遊び方」を試して、楽しくなかったり、危なかったりして、自分の「遊び方」を見つけるのも遊びのうちじゃなかったっけ?
子どもの創造性を奪うことだけはしないように、気をつけたいものです。
1000号、おめでとうございます。深い尊敬の念を抱いております。いつもありがとうございます。福井信蔵
記念すべき1000号おめでとうございます。質量ともに目くるめくものになってきましたね。
テーマがあって、それを超えようとする動きがあって、これがまず+。マーケティング情報がもうひとつの+。つまり頭二つ、単なる雑学から抜けています。
これからもひきつづき読む者を刺激、啓発して行ってください。これだけのものが無償で読めるなんて、私にはほとんど恩寵です。(褒めすぎですって? いいえ、こんなふうに受け取っている読者もいるんですよ)
1000号おめでとうございます。
毎回楽しみに読ませてもらっています。
何かをこれほど続けられるというのは余程のモチベーションをお持ちなのでしょう。
私はも見習わなければならないなと、自分への戒めも含めてここに記します。
これからも頑張ってください。
みなさま、ありがとうございます。いろいろ感じつつ、感謝しています。
松本秀人さんの読者からの希望案はおもしろいなあ、でも高校生時代にその方法でショートショート書いていて苦しかったなぁ、難しいかなあ、とか、福井信蔵さんに「創造性」の話をお送りしちゃうなんておそれおおかったなぁ、とか、いやいやほんとささいなことなので、ほめすぎですよ、とか。
ともあれ、みなさまのメッセージに力づけられています。これからもよろしくお願いします。
小橋様
メールマガジンを購読しております、小野沢と申します。
1000号おめでとうございます。
いつも楽しく、かつ興味深く
読ませていただいております。
改めて見返してみると、最初に配信いただいたのは
345号。すでに600通以上拝見している訳ですね。
短期で終わってしまうメールマガジンが多いなか
これだけ長期にわたり執筆されることには
頭が下がります。
お体に気をつけて今後も頑張ってください。
それでは、また。
いま美術の学校に行っているのですが
与えられたお題に従って発想ができなくて悩むことが
あります。これからは、それを自分の創造性の限界で
はなくて自分の世界(物語)が別の所にあると気づく
チャンスだと思うことにします。