とかく人はうわさが好きだ。
人類学のダンバー教授が、パブなど公共の場に集まる人々の会話を調査したところ、すべての会話の65%は、実務的な話ではなく、誰かのうわさなど社会的な話題に費やされていたという。
自然人類学の小田亮氏は、その著書で、人が他人のうわさを気にするのは、他者が「利他的」かどうかを知るためと述べている。利他的というのは他者への思いやりのこと。
仮に、利他的な人ばかりの集団に利己的な人が紛れ込んだらどうだろう。利益を独り占めすることになり、社会のバランスが崩壊する。
人はこうしたただ乗り、専門用語でフリーライダーというけれど、これを極端にいやがる。だから社会を平和に保つため、他者が相手を思いやる人かどうかを気にかける。
そして人は、自分は社会の側にいると安心したくて、他者にうわさを伝え、同調を求める。多少尾ひれをつけたりもしながら。
最近ではネットの「他人たたき」が極端と指摘される。異分子を排除することで、自分は社会の正義と確かめたいのだろうか。だとすればそれは、心の弱さから生じている。
井戸端会議から昼下がりのワイドショーまで、うわさの種が尽きないのは、社会的動物として進化した人類の本質ではある。しかし本来その本質は、思いやりの社会を保つためのものであって、不寛容な社会を築くためのものではない。
小田亮氏の『利他学』を参考に。また、うわさについては、もうずいぶん昔になりますが、「うわさ」としてコラムにしています。
ところで、昔このメールマガジンにも協力いただいていた谷本真由美氏が『不寛容社会』を出されています。こちらもご参考に。
小田です。文化人類学者ではなく自然人類学者です。文化人類学者の小田亮(おだ まこと)さんは別人です。
小田様、たいへん失礼しました。訂正いたしました。対応が遅れたこと、重ねて申し訳ありません。ご指摘いただいてありがとうございます!