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ちょっと知的な雑学&トリビア

うわさ

2001年6月25日 【コラム
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 1973年の12月8日。卒業を間近に控えた女子高生3人が自分たちの就職先についておしゃべりをしていた。そのうちひとりの就職先を、別のひとりが「信用金庫なんてあぶないよ」とからかう。朝の通学途中の、たあいもないおしゃべり。しかしこれが、その後13日から17日にかけて、健全な信用金庫から20億円もの預金が引き出されるという取り付け騒ぎに発展する。うわさ研究史上有名な豊川信用金庫の流言。
 この流言は発生源が特定されたことで有名だが、通常、風説なんて言葉もあるように、流言の発生源や広がりは風のように定かでない。流言の広まりは状況のあいまいさと内容の重要度に比例するという公式がある。もっとも、各種の研究では重要度についてはあまり実証されていない。むしろ、あいまいさと不安感のかけあわせではないかという説もある。豊川信用金庫の場合も、オイルショックでトイレットペーパー買占め騒動が起こった直後という不安な世情があった。
 流言はしゃべらないと広がらない。確かに人は、あいまいな状況、不安な状況にあるとしゃべりたくなる。確認したいし、安心したいから。そんなわけで、相手の様子を見つつ、確認できそうならちょっと話を脚色して、相手の同意をうながしたりもするわけだ。こうしてうわさに尾ひれがついていく。
 うわさには流言のほかゴシップや都市伝説なども含まれる。ぼくたちがコミュニケーションを求める人である以上、それらがなくなることはきっと、無いのだろうな。

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One comment to...
“うわさ”
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小橋昭彦

うわさについては、「うわさとニュースの研究会」が抜群。作者川上教授による著書『情報行動の社会心理学』『うわさが走る』もいいです。海外の書籍としては『噂の研究』なども。分野としては社会心理学になるのですが、『日本社会心理学会』もどうぞ。また、『松田美佐のホームページ』『横浜市立大学かわうら研究室』『バーチャルメディアラボ』などに有益な論考が含まれています。また、ネット上のインタラクション研究では、『國領研究室のホームページ』が有名ですね。




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 鏡は人を惑わせる。左右は逆になるのに上下が逆にならないのはなぜという疑問は古来から多くの人を悩ました。プラトンも悩んだしカントも考察している。 言葉のあいまいさと認識の問題が重なって、なんだかややこしい。少なくとも、鏡の中では奥行きは逆になっているようだ。鏡に向かって手を遠ざけると、鏡に映った手は遠くからこちらに近づいてくる。 本の表紙を鏡に映してみよう。鏡にいま自分が見ている表紙を映そうとすると、それを自分には見えないように、つまりは鏡に向かうように回転させなくてはいけない。このとき、まずは本の右を左にするやり方で、つまり垂直軸にそって回転させる。鏡に表紙が映る。文字は左右が逆になっている。回転は水平軸にそってでもいい。やはり鏡に表紙が映る。こんどは上下が逆の文字が映る。とすると、鏡に映すためには、左右でなくてもいい、上下が逆でもいいということではないか。 オーケー。姿見を床に置いてその上に横向けに寝転んでみる。上になった手を動かそう。鏡の中のぼくは下の手を動かしている。鏡は上下を逆にしたのではないか。 頭が痛くなってきたね。左右が逆の像がいやなら、2枚の鏡を90度の角度で書籍のページを開いたようにあわせてのぞくといい。よけいに頭が痛くなるかな。 もうひとつ実験。鏡に近づいて顔を映す。次に遠ざかる。さて、鏡に映った顔はどちらが大きいだろう。もちろん近いとき、と考える。では、クレヨンや口紅などで、近づいたときの顔の輪郭をなぞって鏡に描く。片目を閉じて描くとやりやすい。さて、次に遠ざかってみて。いかがでしょう。 鏡と人は紀元前からのつきあい。古代エジプト人も鏡に向かって化粧をしていたし、今を生きる女性もそう。そんな女性にひかれる男の姿はクレオパトラの時代もいまも変わらない。鏡が人を、というより、やはり人が人を惑わせているのかしらん。

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 乗りこんだ駅では満席だったのに、一駅ひとえきと人が降りていき、終点につくころ車両に残っていたのは、ぼくを含め二人だけだった。いまひとりの女性とは隣の席。移動しそびれてそのままになってしまっている。今さら席を移るのも嫌味だし、終着駅につくまで気づかぬふりをするか。ほかに誰もいない車両で、見知らぬ人と隣り合わせに座っている居心地の悪さ。満席だったときは気づきもしなかったのに。 人には個人空間、あるいはポータブル・テリトリーと呼ばれる領域がある。自分の身体の延長として、自分の一部と認識している領域。京都は賀茂川のほとりに見られる、ほぼ等間隔で腰をおろしたカップルの列は有名だし、電線の上にとまるスズメもポータブル・テリトリーにあわせて同じ間をあけて並んでいる。この距離、種類によっても違うという。 文化人類学者のエドワード・ホールによると、知らない人との対人距離が45センチを切ると不愉快になったり緊張したりするとか。男性用トイレで、二人が便器の前に立つとき、たいてい間にひとつあけて立つものだけど、これが隣にこられると、排尿までの時間が長くなるという実験結果もある。パーソナル・スペースを侵されることは、生理的な影響ももたらす。 個人空間の広さは、一般的には腕を伸ばした半径60センチくらいの円が目安。前方だけはこの1.5倍くらい。満員電車内ではとても守られていず、さてこれが最近の暴力事件と関連しているかどうか、近年、個人空間に異変が起こっていることを指摘する研究者もいる。 座ったときは個人空間も狭くなるようだが、空の車両で並んでいた二人は、はた目からは恋人に見えたことだろう。学生時代のできごと。これをきっかけに話しかけてその後、なんて展開があればしゃれていたのだろうけれど、残念ながらそれはない。終着駅に着くなり、それぞれに席を立ち、別の扉から出ていった。 改札に向かいざま、それでも気になって、一瞬振り返る。ちら、と目が合い、改札を抜けた。駅前スーパーの人ごみの中、個人空間のはるか向こうに消えていく。その後、見かけない。きれいなひとだった。

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