京都大学霊長類研究所が、チンパンジーの利他行動を調べた実験がある。
二つの部屋にチンパンジーを入れる。一方には道具を置き、もう一方にはその道具を使わないと取れない所にジュースを置いた。
すると道具のある部屋のチンパンジーが、自分の前の道具を相手に渡したという。相手がジュースを手に入れても自分は飲めないのにだ。
このように、チンパンジーも相手のためのやさしさを見せる。ただしほとんどは相手が求めてきたときだけで、ここが人と違うところ。
昨今は女性が求める男性像に「やさしい人」をよく聞く。あなたの恋人は求めなくてもやさしくしてくれるだろうか。そんなところから、恋人がチンパンジーより優れているかどうかを判断してはどうだろう。
もうひとつ、チンパンジーと人の違いがある。
それは、協働作業で得た報酬の分け方だ。人の場合、おおむね3歳児以上で、みんなが協力して成果を得たとき、その成果を平等に分けようとする。ところが、チンパンジーの場合は、こうした発想はない。
やさしさの起源は、ヒトがチンパンジーと分かれたおよそ500万年より以前にさかのぼることができるようだ。
その後ヒトは、相手からの求めが無くても自発的に手を貸したり、互いに協力して成果を分配したり、その「やさしさ」に磨きをかけてきた。
そのやさしさを今、われわれは退化させずにいるだろうか。チンパンジー実験の写真を見つつ、そんなことを自問している。
チンパンジーの協力行動については、京都大学の平田聡氏による「チンパンジーの協力行動」、及び、山本真也氏による「利他・協力行動のメカニズムと社会の進化」を参考にしました。
なお、ヒトとチンパンジーの分岐年代は、「DNA人類進化学 ~ 3.ヒトがサルと分かれた日」をもとにしました。
あと、ヒトはチンパンジーより他者の表情に視線をやるそうです。そのあたりが、他者を思いやって自発的に行動することにつながっているのでしょうか。「ヒトとチンパンジーは、他者の行為に対する注意の向け方が異なる」より。
利他的行動が類人猿にデフォルトだったこと、学習させていただきました。
しかし、他の類人猿からの働きかけがあってその機能は発動する。
だとすると、最初に働きかけた類人猿の行動は説明できません。
パーソンズという社会学は、そのことに苦しんだあげく、構造機能主義に進化論をプラスしました。しかし、完成をみたのは社会システム論のみで、かれの死後、構造機能主義は棺桶入りとなりました。
先生は機能論と発生論との折り合いについてどう思われますか?
くだらないことをうだうだと申し上げました。ごめんなさい。
先生のエッセイ、目から鱗で楽しく拝見しております。
ところで、先生はゴフマンという社会学者をご存じですか?
おそらくご存じのことと思います。
かれの問題提起に先生がどのようなコメントを加えられるのか、
ぜひお聞かせください。
ありがとうございます! どうなのでしょうね、最初に意図をもって働きかけた一頭がいたのではなく、多様な行為の中で、たまたま進化的に残った性質が、その働きかけだったということなのでしょうね。
ゴフマン。実はすっかり忘れてしまっていて、すぐにはコメントできないのですが、今でいうコミュニケーション論的な話は、またあらためて取り上げるかもしれません。