小橋 昭彦 2012年7月31日

地質年代というと、どんなイメージを抱かれるだろう。

たとえばそれは、人為の及ばない長い時間の積み重ね。ぼくにとってはそんなイメージの言葉だったものだから、「人新世」という新たな地質年代を作ろうという話に、驚かされた。

地質年代

地質年代を百科事典で紐解けば、代、紀、世、期で区切られたものとして説明がある。たとえば恐竜が絶滅したのは、「中生代白亜紀セノニアン世マストリヒシアン期」だ。ぼくたちが生きているのは、「新生代第四紀完新世」。これは、最後の氷期が終わった1万年前に始まり、現代に至る。

現在検討されているのは、この「完新世」を終わったものとして、「人新世」に切り替えようという提案だ。人新世という言葉が生まれたのは2000年のことで、提唱者はオゾンホールの研究でノーベル賞を受賞したパウル・クルッツェンら。その後、論文でも登場するようになり、2011年には地球科学者らが集まり、この提案の妥当性や定義について議論を重ねたという。

現在ぼくたちが生きているのは、「完新世」という地質年代。まだ1万年の期間しか経っていない。その前の「更新世」は250万年以上続いているわけだし、それ以前にしても「世」は数百万年間続いている。当然「完新世」もまだまだ続くと思われていたわけで。

人の世紀

完新世はなぜ、わずか1万年で終わりそうなのか。

人類のいとなみのゆえだという。科学誌natureに掲載された記事を参考に、100万年後の地質学者になって、「人新世」という地層の特徴をたどってみよう。

まずわれわれ未来の地質学者がみる、人新世の地層のめだった特徴は、その地形変化の激しさにある。南極大陸のように氷に覆われていたところは別にして、残る陸地の半分以上に、人為的に手を加えられた跡がある。自然のプロセスなら、地形変化の規模は10分の1程度であったはずだ。

地層の境界付近には、暗色の帯が見られる。海底の岩石などが溶かされてできたものだ。どうやら、大気中の二酸化炭素濃度の上昇により、海水が酸性に傾いた結果らしい(ちなみにこの変化は、今から100年もしないうちに起こる)。

化石にも目覚ましい特徴が見られる。

本来の生息地域を超えて広範囲に広がっている種が、それまでと比べてはるかに多い(20%が侵入種だ)。一方で、過去5億4000万年で5回しか起こっていない規模の大量絶滅が起こっている(これは、いま「絶滅危惧種」とされている種が消失したとしてのこと)。

人新世の標識

さて、大きな変化があったには違いないが、何によってこの地層を見分ければいいだろうか。三葉虫やアンモナイトのように、示準化石となるものがあるだろうか。

ひとつの案として、5000年から1万年前に始まった農耕で利用されている栽培植物の花粉があがっている。あるいは、産業化が始まって以降の、温室効果ガスと大気汚染物質の増加も候補のひとつという。

もうひとつある。

核兵器が開発された1945年以降の、放射性同位体の出現だ。

こうしてぼくたちは、地質学的な視点からもまた、核の問題に行き当たらざるを得ない。

2006年に書いたコラム「齢を刻む」で、1955年以降かつおおむね1980年代までに生まれた人たちは、体内に炭素14を取り込んでおり、これが人体各部の組織年齢を推定するのに利用できるという話を書いた。大気圏内の核実験で放出された放射性物質が、植物から動物へと循環し、人間が食することで取り込まれたものだ。

この事実は、ある個人的な思い出の風景に結びついている。「齢を刻む」でも書こうとして書けなかった思い出だ。

今はもう取り壊してしまった生家、築300年の古屋の窓際の一室でのこと。まだ幼い頃の話だ。

曇り空を見上げながら、祖母から「今日は外に出たらあかんで」と諭されている自分がいる。どこかで爆弾の実験があって、髪の毛が抜けたりする悪い物質が雨に含まれて降るかもしれないから、と祖母が言った。不思議で理不尽な思いで、空を眺めていた。

これまでこのエピソードをためらっていたのは、なんだか現実離れしていて、後から創造した記憶のように思えたから。それを今になって書いているのは、そこに一定のリアリティがあると思えたからだが、それはもちろん、まったく喜ばしいことじゃない。

今このときも、どれだけの子どもたちが、辛い思いを抱いているのだろう。そう考えるだけで、胸が塞ぐ。その子どもたちに、あるいはその子どもたちの子どもたちに、さらにはそのまた子どもたちに、ぼくたちは責任を負えるだろうか。

核の世紀

ぼくたちは核の時代を生きている。

なぜ、一瞬でもそれを忘れていられたのだろう。たとえ兵器でなくとも、百万年後まで残るゴミを生み出し続けていたというのに。この1万年間でさえ、地球を同じ状態で保てなかったぼくたちに、百万年後のことを約束することなんてできるはずもないのに。

人新世についての議論は、現代への警鐘になるという思惑を含んでもいるらしい。

ならば、今はその思惑に乗ってみようと思う。

ぼくたちは、人がもたらした新しい地質年代を生きている。

何百万年かのち、温室効果ガスとともに、大量絶滅とともに、放射性物質とともに定義される時代に。

2 thoughts on “ぼくたちの地層

  1. 作中で触れたコラムは「齢を刻む」です。放射能といえば、『渚にて』を思い出すわけですが、そんな話をまとめたのが、「狭くなる世に」。科学誌natureの記事は、「Human influence comes of age( Nature 473, 133 (2011))」です。言葉が生まれたきっかけとなった論文は、「The Anthropocene( Global Change Newsletter (2000)Volume: 41, Issue: 1, Publisher: Springer, Pages: 17-18)」。その他、「Are we now living in the Anthropocene?」「人類の時代( ナショナルジオグラフィック)」も参考にしてください。それから、人類がこの地球に与えた影響を視覚的に分かりやすく紹介した資料に、「A Cartography of the Anthropocene」があります。ぜひご参考に。

  2. 題して
    「パンドラの箱開けちゃいました」

    今回の原発の事故で
    今まで、あまり原発に
    興味の無い
    とくに
    主婦層にぺらっとした知識が
    浸透した。

    主婦層はなかなか御し難い。
    いくら「大丈夫!」と言っても
    トイレットペーパーを
    買いだめに走ったりする人種だから・・・。

    問題は
    百万台を超える
    「放射線カウンター」を
    一般市民が入手したことだ。

    これは
    米国人が銃を持つ権利と同じ狂気の
    武器になる。

    これから先、政府や自治体が
    なんと言おうと、「放射線カウンター」を
    所持している大衆を騙すことはできない。

    この次に少しでも環境放射線量が増加すれば
    原発の事故に関連しなくとも
    大衆は勝手にパニック状態になり
    阿鼻叫喚の地獄が生じる。

    誰だって、放射線が迫ってくれば
    他人を殺して車を奪ってでも
    逃げ出すことになるもの。

    渋滞していれば、自分の車を放棄して
    先頭の車の所有者を殺して避難する。

    緊急避難処置として罪には問われない!

    生き延びるには先頭から5台目ぐらいが
    いいのかなぁ~。

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