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ちょっと知的な雑学&トリビア

脳の中で起こる遺伝子ジャンプ

2012年5月08日 【雑学なメモ
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日経サイエンス掲載の「ジャンピング遺伝子」の話が面白い。

一卵性双生児なら遺伝子が同じで,生育環境も同じなら個性も似てくるように思えるが,なぜ違いが生まれるのか? 近年,注目されているのは“ジャンプする遺伝子”だ。この遺伝子は自身の複製を作り出してはゲノム内の別の領域に挿入していく。この遺伝子の移動が,お母さんのお腹の中にいる胎児の脳でも成人の脳でも起きていて,最終的に脳の機能に差異をもたらしている可能性がある。

引用元: 動く遺伝子がつくる個性 | 日経サイエンス

いわゆる、人を決定するのは生まれ(遺伝要因)か育ち(環境要因)か、という論争に、新しい視点をもたらしてくれる事実。つまり、遺伝要因なのだけど、その遺伝地図そのものが、後々書き換えられているのだと。

カット・アンド・ペーストで細胞のゲノム上を動き回る「トランスポゾン」に対して、最近研究されている、脳内の転移因子は「レトロトランスポゾン」という。

脳

適切に書かれているはずの遺伝プログラムがなぜ、書き換えられるようなことを許すのか。ジャンピング遺伝子は、脳細胞に多様性をもたらし、変化し続ける環境に迅速に対応する柔軟性をもたらしているのだろうと推測されているとか。

ある種の偶然にゆだねる「ゆるさ」みたいなのが、生命にはやはり必要なのだろうな。

 

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DIAMOND
ハーバード・ビジネス・レビューの幸福の戦略特集では、ピーターN.スターンズの「幸福の歴史」もおもしろい。
幸福イコール笑顔がステレオタイプになったのはいつか。19世紀になると、一転して幸福を求める態度が一般化する。そこには、死生観や労働観との兼ね合いがあった。そして20世紀、とりわけアメリカでは1920年代以降、人々が幸福を主張する権利が確立され、メディアや広告、製品やサービスを通じて、幸福の表現方法はいまのようにステレオタイプ化されていった。
引用元: DIAMOND
ハーバード・ビジネス・レビュー
スマイリー・フェースが発明されたのは1963年で、そのライセンス収入は10年足らずで5000万ドルを突破したといった小ネタもあるし。

なにより、上記引用にもあるけれど、1920年以降の消費ブームとともに、笑顔と幸福がリンクづけられていったという社会構成的な指摘にはっとさせられる。

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地質年代というと、どんなイメージを抱かれるだろう。

たとえばそれは、人為の及ばない長い時間の積み重ね。ぼくにとってはそんなイメージの言葉だったものだから、「人新世」という新たな地質年代を作ろうという話に、驚かされた。

地質年代

地質年代を百科事典で紐解けば、代、紀、世、期で区切られたものとして説明がある。たとえば恐竜が絶滅したのは、「中生代白亜紀セノニアン世マストリヒシアン期」だ。ぼくたちが生きているのは、「新生代第四紀完新世」。これは、最後の氷期が終わった1万年前に始まり、現代に至る。

現在検討されているのは、この「完新世」を終わったものとして、「人新世」に切り替えようという提案だ。人新世という言葉が生まれたのは2000年のことで、提唱者はオゾンホールの研究でノーベル賞を受賞したパウル・クルッツェンら。その後、論文でも登場するようになり、2011年には地球科学者らが集まり、この提案の妥当性や定義について議論を重ねたという。

現在ぼくたちが生きているのは、「完新世」という地質年代。まだ1万年の期間しか経っていない。その前の「更新世」は250万年以上続いているわけだし、それ以前にしても「世」は数百万年間続いている。当然「完新世」もまだまだ続くと思われていたわけで。

人の世紀

完新世はなぜ、わずか1万年で終わりそうなのか。

人類のいとなみのゆえだという。科学誌natureに掲載された記事を参考に、100万年後の地質学者になって、「人新世」という地層の特徴をたどってみよう。

まずわれわれ未来の地質学者がみる、人新世の地層のめだった特徴は、その地形変化の激しさにある。南極大陸のように氷に覆われていたところは別にして、残る陸地の半分以上に、人為的に手を加えられた跡がある。自然のプロセスなら、地形変化の規模は10分の1程度であったはずだ。

地層の境界付近には、暗色の帯が見られる。海底の岩石などが溶かされてできたものだ。どうやら、大気中の二酸化炭素濃度の上昇により、海水が酸性に傾いた結果らしい(ちなみにこの変化は、今から100年もしないうちに起こる)。

化石にも目覚ましい特徴が見られる。

本来の生息地域を超えて広範囲に広がっている種が、それまでと比べてはるかに多い(20%が侵入種だ)。一方で、過去5億4000万年で5回しか起こっていない規模の大量絶滅が起こっている(これは、いま「絶滅危惧種」とされている種が消失したとしてのこと)。

人新世の標識

さて、大きな変化があったには違いないが、何によってこの地層を見分ければいいだろうか。三葉虫やアンモナイトのように、示準化石となるものがあるだろうか。

ひとつの案として、5000年から1万年前に始まった農耕で利用されている栽培植物の花粉があがっている。あるいは、産業化が始まって以降の、温室効果ガスと大気汚染物質の増加も候補のひとつという。

もうひとつある。

核兵器が開発された1945年以降の、放射性同位体の出現だ。

こうしてぼくたちは、地質学的な視点からもまた、核の問題に行き当たらざるを得ない。

2006年に書いたコラム「齢を刻む」で、1955年以降かつおおむね1980年代までに生まれた人たちは、体内に炭素14を取り込んでおり、これが人体各部の組織年齢を推定するのに利用できるという話を書いた。大気圏内の核実験で放出された放射性物質が、植物から動物へと循環し、人間が食することで取り込まれたものだ。

この事実は、ある個人的な思い出の風景に結びついている。「齢を刻む」でも書こうとして書けなかった思い出だ。

今はもう取り壊してしまった生家、築300年の古屋の窓際の一室でのこと。まだ幼い頃の話だ。

曇り空を見上げながら、祖母から「今日は外に出たらあかんで」と諭されている自分がいる。どこかで爆弾の実験があって、髪の毛が抜けたりする悪い物質が雨に含まれて降るかもしれないから、と祖母が言った。不思議で理不尽な思いで、空を眺めていた。

これまでこのエピソードをためらっていたのは、なんだか現実離れしていて、後から創造した記憶のように思えたから。それを今になって書いているのは、そこに一定のリアリティがあると思えたからだが、それはもちろん、まったく喜ばしいことじゃない。

今このときも、どれだけの子どもたちが、辛い思いを抱いているのだろう。そう考えるだけで、胸が塞ぐ。その子どもたちに、あるいはその子どもたちの子どもたちに、さらにはそのまた子どもたちに、ぼくたちは責任を負えるだろうか。

核の世紀

ぼくたちは核の時代を生きている。

なぜ、一瞬でもそれを忘れていられたのだろう。たとえ兵器でなくとも、百万年後まで残るゴミを生み出し続けていたというのに。この1万年間でさえ、地球を同じ状態で保てなかったぼくたちに、百万年後のことを約束することなんてできるはずもないのに。

人新世についての議論は、現代への警鐘になるという思惑を含んでもいるらしい。

ならば、今はその思惑に乗ってみようと思う。

ぼくたちは、人がもたらした新しい地質年代を生きている。

何百万年かのち、温室効果ガスとともに、大量絶滅とともに、放射性物質とともに定義される時代に。

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