なんて印象的なプロローグだろう。
ニューメキシコ上空、3万1000キロメートル、1960年8月16日。与圧服に穴があけば、たちまち血液が沸騰してしまう、薄い空気の中。
ジョセフ・キッティンガーは、この危険に満ちた領域に一人浮かんでいた。
もっとも、彼の上空約80キロメートルのところには電離層があって、彼を致死的なX線から守ってくれている。さらに上空には、何万キロメートルという距離まで地球の磁場が及んでいて、吹き荒れる太陽風から守ってくれている(ちなみに、スペースシャトルの高度はおおむね300キロメートル台だから、かつて人類で、地球の磁場の外に出たのは、アポロで月に向った宇宙飛行士だけだ)。
さて、キッティンガーは旅を=自由落下を=始めた。
高度1万8000キロメートルまで落ちたあたりで、気圧は服に穴があいてもいいレベルまで上がる。気温はマイナス70度以下。高度1万メートル。エベレストの高さ。
けっきょく、ぼくたちが「大気」として実感できるのは、ここから下に過ぎない。雲に入り、パラシュートが開く。
13分45秒後、キッティンガーは地上に降り立つ。
ウォーカーが描くのは、キッティンガーが「旅」したこの空間についてだ。ふだんは気にとめない、大気という空間。
空気の重さを量ろうとした人々の挑戦を、ウォーカーはガリレオから書き起こす。
大気が、酸素や炭素といったさまざまな要素から構成されていることを発見した科学者たちの姿を活写する。
貿易風や偏西風の発見をコロンブスから語り起こし、その原理の発見(フェレル効果=コリオリと一般に呼ばれているが、実際に貢献したのはフェレル=や、ハドレー循環)について述べる。
ここまでが第一部で、いわばこれが副題にある「なぜ風は吹き」に対する回答だ。
第二部では、「なぜ生命が地球に満ちたのか」に関する回答が示される。
モリーナとローランドによるフロンによるオゾン層破壊の発見(と社会的な無視)、マルコーニの無線と電磁波、そして宇宙への道にあるヴァン・アレン帯の発見。
それはなんて魅力的な語り口だろう。
ぼくたちはふだん、大気の存在について意識することは少ない。しかし、そのなかに、これほど多様な視点があり、これほど生き生きとした人々の挑戦があったとは。
ウォーカーは、これら「大気」に関する物語を、ひとりひとりの科学者に密着し、まるでその時代に生きて見てきたかのように物語る。
その語り口に、ぼくは魅入られ、読み進めていった。
それはどこか、風の音を聞きながら走り抜ける経験に似ていた。
あるいは、30キロメートルを自由落下した、キッティンガーの経験に。
あなたもぜひ、この自由落下を味わってほしい。