すこし遅れて出かけた三井寺の桜は、前夜の激しい風雨で、桜吹雪を見せることもなく、はや散り敷いているのだった。地面に白く積もる花に、雪みたい、と3歳の息子が小さな声をあげる。
境内にはすっかり人気も無い。つい昨日までここは人であふれていた、と帰りにひろったタクシーの運転手さん。花は人を吸い寄せる。
花見のルーツは平安時代という。『日本後紀』に、嵯峨天皇が神泉苑で桜を眺めたのが「花の宴」のはじまりとある。
初期は貴族や武家などの限られた階級の行事だった花見。それがにぎやかな宴会になっていったのは、豊臣秀吉が吉野山や醍醐で開いた花見以来だとか。歌舞などの芸事もまじえ、華美をつくしたと伝わる。
庶民に広がったのは江戸時代で、中期にはひとびとが三味線や鼓を奏で、小唄をうたい酒を酌み交わす光景がみられたというから、現在の花見の風景は、当時から変わらぬものだったようだ。
観月舞台そばで琵琶湖を眺めるうち、日が落ちて境内に灯が入った。この季節に行われているライトアップ。花は散ったものの、現代的な光に浮かび上がる参道が、幽玄という言葉を思い出させる。闇に浮かぶ葉桜に、一瞬、満開の桜を幻想。
桜よ、また来年。
三井寺のライトアップは、残念ながら17日で終わってしまいました。まさにまた来年、です。
今日の没ネタ。ローマ法王ギリシア訪問で1054年の東西分裂以来の対立和解へ(朝日3月28日)。泥で作っただんごが光る(朝日3月30日)。ゆとり学習で学力低下(朝日3月28日)。映画看板への道(日経3月28日)。
滋賀の話題で嬉しい☆私は大学内でお花見しましたよ。