探検記。
なんて懐かしい響きだろう。
子どもの頃、いくつもの冒険談を読んだ。
砂漠で喉の渇きにおそわれ、ようやっと見つけた水辺で長靴に水を汲み、ごくごく飲んだ風景は、記憶の底にずっと残っている。
あれが誰の冒険談だったか、今では思い出せない。
それはあるいは、本書に登場するうちの誰かであったか。
副題の通り、ここには50篇の探検記が収められている。
恥ずかしながら知らなかったんだけれど、『ナショナル・ジオグラフィック』って、かつてはこうした探検記を掲載することで部数を伸ばした時期があったんだね。今でも世界の自然の美しい写真をふんだんに掲載して、すてきな雑誌だと思うんだけれど、そのルーツは、こんなところにあったんだ。
ぼくは想像する。ちょうどアメリカで最初の消費文明が花開いた時期だ。満ち足りた人々が、世界の驚異をゆったりしたリビングで楽しむ風景を。
冒険と、隣り合わせの仕合せ。
そう、「世界が驚異に満ちていたころ」とは、今からまだ100年も前じゃない。多くは1920年代前後の物語。
うん、インディ・ジョーンズを思い浮かべると近いだろうね。
たとえばオーウェン・ラティモアによる1929年6月号に掲載された「トルキスタンの砂漠の道」がある。彼は旧来の友人モーゼスとともに旅をする。あるとき彼は、中国トルキスタンの国境付近で捕らえられる。
モーゼスはラティモアをアメリカ大使の甥だということにして、その場を切り抜ける。「うそも方便」というわけだ。それが「アメリカ皇帝の血をひくアメリカ王子の甥」という話になり、彼はそれから王子として破格の待遇を受ける。
まるで映画そのものだ。
映画そのものの冒険譚が、ぎっしりつまっている。
ぼくは読みつつ、宮本常一の著作を思い出さずにはいられなかった。
失われた日本の風景を描いた彼の作品。持ち味はまったく違う。違うが、どこかぼくたち人間の原型を思い起こさせる点で、似ている。
ここには、失われた世界の風景がある。
ジャンボジェットが登場する以前、世界がもっともっと広かった頃。世界にはフロンティアが満ちていた。
本書は、セオドア・ルーズベルトによる「アフリカの野蛮人間と野生動物」から始まる。そう、アメリカの元大統領である。大統領を辞して後、アフリカで狩猟を楽しんだ時代(その後の自然破壊、野生動物の絶滅を思えば、あまりに無邪気と言えるかもしれないが)。
実は、たまたまこの一篇を読んだ後、ぼくは映画『ナイト・ミュージアム』を観た。それはまったくの偶然だったが、この一篇を読んでいないのと読んでいたのでは、あの映画の楽しみの深さが違っていたろうと思う。(その映画を知らない人には通じないけど、まあ、ルーズベルト大統領が登場する、と言っておこう)
本書は、アフリカから始まり、ロシア、イスラム、極東、アラスカ、南アメリカ、アマゾンなど、世界各地の冒険譚に満ちている。
ずいぶん厚い本だ。日ごと一篇ずつ楽しむのもオツなものだろう。
もういちど、少年の心を甦らせたい方に。
米国では、ハンターが自然保護をしている、と言うハナシを聞きました。
スポーツ・ハンティングの人口が多く、ハンター達が自らの楽しみを維持する為に、森林を保護するというモノです。
(開発に反対するなどの手段ですが)
結果として、森はハンターにより守られるという事ですが、ルーズベルトが、そんな事を考えていたとは、思えませんね。
ボクは標的射撃をしますが、血の出る狩猟はイヤだな。
しゃあさん、射撃をされているのですか。驚き。
ルーズベルトの場合、自然史博物館の収蔵品への協力といった名分があったようです。もっとも、しとめた獲物を前に満足げな表情で記念撮影している当時のハンターたちの写真を見ると違和感もありますけれども。
しかし、今の視点から当時の人を批判しちゃいけませんね。そういう時代だった、ということでしょう。