小橋 昭彦 2007年12月19日


 いかにして電気が見出され、現代を拓いたか。
 オーケー、問われているのは二つ。
 問1。いかにして電気が見出されたか。答。1830年前後、未開の州ニューヨークの、そのまた僻地に暮らしていたジョセフ・ヘンリーによって(もちろんそれ以前、たとえば1801年にボルタが電池を作っているし、エレキテルの平賀源内は18世紀の人物だ)。
 ヘンリーは鉄の塊に導線を巻き付け、電磁石を作った。彼は鷹揚だった。彼はその知恵を誰にでも分け与えた。
 本書が彼から始まっているのは、スミソニアン協会の初代会長として米国の科学振興にもつくした彼の功績を重んじてのことだろう。
 ヘンリーと対比してもう一人の男が登場する。
 1838年、ヘンリーの研究室を訪れた男があった。彼は、そこで聞いたことや、ヨーロッパの研究者たちの報告から得た知識をもとに、自分の名前で特許を取得した。10年もたたないうちに、彼、サミュエル・モールスは北米でも屈指の資産家になる。
 本書の最初の章をなす二人の物語が、ぼくは好きだ。
 けっきょく、どちらが幸福だったのだろう。ジョセフ・ヘンリー、それともサミュエル・モールス?
 ヘンリーは、モールスほどの資産は築けなかった。でも、彼を慕う学生たちに囲まれ、穏やかな晩年をすごした。
 モールスはその莫大な資産、そして彼の特許を守るため、訴訟に明け暮れる一生を過ごした。
 電気。
 このごく身近にある、だけどよく考えたら、これこそまさにテクノロジーの賜物である存在。ここに焦点をあて、それに携わった人たちの物語を描いたのが本書だ。
 著者の視点の妙は、二人を対比させた第一章によく表れている。
 電気。
 そこには、聴覚を失った恋人のために電話を開発したベルがいる。発明王として誰もが知っているエジソンがいる。
 大西洋横断ケーブルの施設に費やされた人生があれば、レーダー技術を利用した戦争で失われていった多くの命がある。
 本書の楽しみは、なによりもこうした人間模様にある。おまけに、それぞれの人にまつわるちょっと雑学的な知識を満たすことも出来て。
 電気を核にこんなすてきな物語を仕上げたデイヴィッド・ボダニス。
 本書には、登場人物たちのその後が描かれている。
 映画『アメリカン・グラフィティ』は覚えてる? あのラストにあったようなエンディングだ。そこから、本書のスタンスの魅力が、きっと少しは伝わるのじゃないかな。
 ぼくはまだ、二つに分けた副題の、後半に触れていない。
 問2。いかにして電気が現代を拓いたか。
 だけどしかし、これに答えるのはたいへんだ。現在の地点に立って、ぼくたちは「現代」を留保なく肯定的にとらえることが出来ないからだ。
 たとえば、温暖化していく地球に対して、電気は何ができるのだろう。
 本書にはチューリングも登場する。トランジスタや、その後のコンピュータの発展。あるいは神経電流も登場する。脳科学の発展がそこに連なる。
 確かにそれらは「拓かれた」現代だろう。でも、それら本書の終盤は、実のところ前半ほど魅力がない。
 それは決してボダニスの筆力のせいじゃなく、もしかすると科学が、ヘンリーの寛容や、ベルの恋心からあまりに遠く離れてしまったためではないか。
 そう気づいて、ちょっとやるせなくなった。
 そしてぼくは、現代という時代の「その後の物語」を描くとすればどうなるのだろうと想像する。
 そうか、ぼくは、もうひとつの副題を持つ物語を求めているんだ。いつかボダニスは、それを描いてくれるだろうか。
 いかにして電気が現代を救ったか、という物語を。

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