1989年10月9日、ベルリン。誰が主導したわけでもないのに、東独では七万もの人が東西を隔てる壁に集まり、民主化を叫んだ。この群集の行動を、ノースウェスタン大学の研究者らが複雑系の理論を用いて説明している。それによると、このときの人々の行動は、多くの人を真似るという単純な原理で説明でき、しかも秘密警察というノイズの存在が行動を促進したという。
複雑系では、外部の要因に頼らずに群れの行動を説明できる。有名なのがレイノルズ博士によって見出された「ボイド」だ。鳥の群れは、目指すべき巣とか太陽の位置など外部要因からシミュレートしようとしてもうまくいかない。ボイドでは、たった3つのルールを持たせるだけで、群れの動きが再現できる。
まずは、仲間が多くいる方向に向かって飛ぶこと。次に、近くの鳥たちと飛ぶスピードや方向を合わせること。そして、近づきすぎたら離れること。この3つだけ。もう少し複雑にするなら、個々の鳥に視野の広い狭いといった個性をもたせたり、しばらく飛んだら気まぐれで離れようとしたりというルールを加えてもいい。魚の群れもこれでそれっぽく再現できる。
人間の消費行動もボイド的とする調査がある。みんなが買うベストセラーを買い、友人が薦めるものを手に入れ、だけど一方で個性やこだわりを追及する。なるほど、こうしてみれば、ぼくたちは消費に限らず、ふだんからボイド的に生きているかなあなんて思えてくる。視野が狭いとか、距離感が近すぎるとか、個性を持たせるといっそう似そうだ。
そんなことを考えていると、なんだ、自分もまたそうしたいろんな方向性の心を持っていて、それらが総合的にまとまって今日を生きているに過ぎないと、そんなことに気づく。そして自分を構成する要素のひとつひとつを引っぱりだして、ゆったり組み立てなおしてみる。たまには自分を一個ではなくシステムとしてみるのも悪くない。
まずは冒頭に述べた研究ですが、「Study Shows How Consensus is Attained in a Noisy World」という大学からのリリースがわかりやすいです。論文本体は、「Efficient system-wide coordination in noisy environments」という抜刷が、著者らのサイト「Amaral Group” s Website」からダウンロードできます。さて、ボイドについては、なによりクレイグ・レイノルズ自身による「Boids」をごらんください。デモもありますが、いやほんと、鳥っぽいですよね。人工生命方面の話でもあり「人工生命の宝庫」のリンク集内にも関連サイト紹介があります。たとえば「Floys: The Basic Version」とかね。ボイドは魚にも適用できるわけで、「Steve” s aquarium」でデモが見れますが、日本語論文では「メダカの群れの動きのシミュレーションとメダカの群れの生成と分裂のリズム」も参考になります。日本語の解説では「群れの知能」がいいですね。最後に、消費者の価値観をボイドに見立てた論文は、野村総研の「知的資産創造2001.1」内に「21世紀の生活者と新たな消費スタイル」というのがあるので参考にしてください。講義資料「企業と市場のシミュレーション」にあるように、社会システムにあてはめてみるのもおもしろそうです。
群れといえば、会社組織はまさに群れの集まりで、事
業部単位、部署単位で日々群れの中で情報を交換し、
仕事をしています。ふと思うのは、学校時代(幼稚園
も)から群れが組織されガキ大将がいて、集団のなか
で力を誇示している形と会社組織も何ら変わらないよ
うな気がします。今でも学校時代はもっと目立ってい
たとか、もっとモテたとか考えていますが、よく考え
ると、群れの中のポジションは無意識の内に形成して
いてあまり過去と変わらないような気もしてきます。
自分らしさを群れの中で発揮できるようにしたいと30
半ばにして考えています。
小橋先生本当に毎回頭が洗われる思いで拝見したいます。私は家の都合もあり小さいときから学問には縁遠い人生でした。もっと勉強をしていたらと思う事しきりな先生のコラムです。毎度毎度感心しては意見しています。頭のいい人はいいなアーと関心しながら、次の配信を待っています。益々の御研鑽を。坊ちゃん大きくなられた事でしょう。ご家族のご健康をお祈りします。 keiji”西山
んー、でもここ最近はつまらないなぁ。
妙に最後に自分の置き換えてまとめる文章が入るけど、強引さが目立つ気がする。
それは扱う内容の合う合わないだけではない気がします。
「バスを待つ」等は良かったのですが、、、
んー、確かに説明はできる。ただ説明というのはどこまでいっても事後の話でしかない。日常的ではない一回だけの群れの、まだ真似る多数が形成される情報のないときの、先頭の個々の数人それぞれの行動がスタートしたわずかな時間のあいだ、あるいはまだ誰も動き出していない前の一日前、二日前、半年前、つまりは事前を、誰か事前に説明してくれないかなぁ、とおもったりする今。
平野さん、ありがとうございます。そういう、行動にとっての夜明けの時間って、わくわくしますよね。どっちかというと小説の分野かな。しかしそういう小説をさいきん、あまり知らないなあ。思い出して系ばかりのような。
ヴェスパさん、確かに、特に今日は強引だったかもしれません。方法論として、社会批評的視点を避けているので、ともするとプライベートばかりに落ちかねません。心します。
ええとそんなわけだから、どうぞ「先生」はご勘弁を、keiji-西山さん(笑)。
群れが単に群れであるというだけなら、「仲間が多くいる方向に向かって飛ぶこと」など3法則だけでいいのでしょうが、実際には、エサを見つける、より快適な場所に移動する、周囲の敵に気を配る、などなど様々な要素がからんでくるので、明示的にせよ暗黙の了解にせよ、ある種の役割分担が群れ内にあるのではと思っています。
ちょうど人間の消費者行動も、すべて同質な個体の集まりではなく、「なんでも新製品にすぐ飛びつく」「普及しだした製品に興味をもつ」「十分広く普及してから使う」などにわけられるようなものですかね。
別にケチをつけるわけではないですが、ベルリンの壁の件。あれは確か先行して誤ってTVで報道されてしまったのだと聞きました。(これから壁が壊れると)そうでなければ、いきなり7万人も誰の主導もなく集まるなんて不自然じゃないですか?
群れの行動自体は納得するし、勉強になりましたが(~o~)
会社に<困った人>はいませんか。います。
だけど、「ボイドのルール」で考えれば、<困った人>も、群れを維持する必然的な要素ということになります。そう思うと、<困ったあの人>の存在も、個性として認められるような気がします。「ボイドのルール」。こんな雑学の知識が、人との距離を保つために役立つことがあるんですね。
8/20小橋さんのヴェスパさん宛てコメントですが、私は、入り口も出口も、そこに「自分」がいないと、意見なんてただ上すべりするだけだと思いますよ。