幼稚園は夏休み。家にいても仕事にならない、そんなときは家族揃って外に出る。博物館に行ってみたり公園で遊んだり。二歳半の次男に好評で、お兄ちゃんときゃらきゃら笑いながら遊んでいる。そんな夏の思い出も、十カ月の三男はもちろん、次男の心に留まることもないのだろう。それを思うといっそう、この夏が愛しくもなる。
記憶には短期記憶と長期記憶がある。長期記憶にはさらに、自転車の乗り方のように身体で覚える手続き記憶や、いわゆる知識である意味記憶、思い出などのエピソード記憶などがある。このうちエピソード記憶に関係する脳の部分は、生まれたあとも成長し、二歳から三歳頃になってようやく完成するという。小さな子がものごとを憶えていない、幼児期健忘はこれが原因だとか。
逆に、子どもの記憶力に驚かされることもある。オハイオ州立大学の研究者らが猫などの写真を見せて行った実験では、五歳児の方が大学生よりよく覚えていたケースがあった。これは大人がカテゴリーを利用するからで、写真を見るとき、つい「ネコ」というカテゴリーの写真として覚える。子どもはただ写真を見たままに理解して、映像的に似ているかどうかで判断する。だから二度目に同じ写真を見せられると、子どもは同定できるのに、大人は「ネコ」としか覚えていないものだからおぼつかなかったりするのだ。
大人になると、世界をそのままに見ることをしなくなるのだろう。見ているものに名前を与え、分類をしてしまって。同じ世界を見ながら、子どもとぼくではずいぶん違う光景を見ているに違いないと愕然とする。だから夏のひととき、公園の芝生の上で、コトバを離れて世界を見る。木は木でなくなってわさわさと音をたてており、頭上には吸い込まれそうな色のなかに白い造形物が浮かんでおり。世界はまったく違う姿でぼくの前に立ち現れ、その瞬間、ぼくは子どもと世界を共有する。
記憶と脳の発達については『記憶力を強くする』で知りました。示唆に富む本です。また、子どもの記憶実験はVladimir Sloutsky氏らによるもので研究室サイト「Cognitive Development Lab」から、論文「Induction and categorization in young children: A similarity-based model」がダウンロードできます。ところで最後の段落で述べている世界の見方は、言語学方面ではときに出てくる見方。『嘔吐』にもあったっけ。余談ですが、『考具』で紹介されていた「カラーバス」という発想法も、ある意味カテゴリー志向をはずす発想法ですね。
幼い頃の記憶って、
ほんとうに自分が覚えているのか、
ある程度成長してから親から聞いた話を「自分が覚えている」のか
あいまいですね。
私の場合、2歳のときに
弟が初めて家にやってきた情景を覚えている?ようなのです。
父母の服装、自分の服、弟のくるまれていた様子、
親の記憶には、その日の服装は記憶にないそうですが、
私が覚えていた服は、当時、実際に持っていたそうです。
この記憶は、はたして?
二歳のときおもちゃのそりを飼い犬に引っ張って後ろに親父がいたのだけど、犬が暴走して鉄条網沿いに親父も追いつけないぐらいのスピードで走っていて一番鉄条網に近づいたときのスピード感のある映像?を覚えてますよ(笑)