子どもが生まれる前は、和服をよく着たものだった。方形の布からできているから、たたんで箱に入れてしまうことができる。洋服は身体に合わせて作られているから、ハンガーにかけることになる。この平面と立体の違いが、古着としての一生にも影響するかと、そんなことを思う。継ぎをあてるとき、和服なら四角い布をそのまま縫えばいいが、洋服だとそれではしわやたるみを作ってしまう。
水村美苗の『本格小説』を読んでいて、お下がりの和服を選り分けるシーンに出会った。これは柄が外着にはもう向かない、寝巻きにするといったやりとり。和服はこうして第二の人生を送ることになる。また和服はいわば一枚の布なのだから、再生もしやすい。江戸時代の古着屋では「百品梱包保呂」が売られていたというけれど、これはボロ布をまとめたものだろう。祖母の裁縫箱にあった古布の数々を思い出す。それが継ぎにもなりお手玉にもなった。宝の山だった。
洋服の場合はどうか。傷んでさえいなければ、フリーマーケットに出す人もいる。回収されたものは、海外へ多く輸出されている。海外で喜ばれるのは下着だとか。ブラジャーのように複雑なものは、しっかりした工場がないと作れない。もっとも、下着は古着に出さず切り刻んで捨てることが多いから、なかなかまとまって出ないようだけれど。
朝岡康ニ氏の著書『古着』に、印象的な調査がレポートされていた。ある半纏(はんてん)の継ぎはぎをひとつひとつ調べたときのこと。すでにどれがもとの布でどれが継ぎかもわからないほどになったそれらをひとつひとつ見ていくと、縫い方の変化から、継ぎをあてた人が変わったことがわかったという。妻ができたか、娘が成長したか。一枚の半纏が縦糸となって、時代を重ね、人生を重ねながら継ぎがあてられていく。そういえば、小津映画など昔は家庭風景の典型だった針仕事の光景を、見かけることが少なくなった。
朝岡康二氏『古着』を参考にしました。水村美苗『本格小説(上)』『本格小説(下)』おもしろかったです。
うれしいお話でした。
古布も組み合わせて出来る限りの利用をして、ベビーキルトに仕立てて病気の赤ちゃんにプレゼントしているABCキルトの会の会員です。
体にフィットするまで長0く着込んで、愛された一品は感動ものです。
私達か作るキルトも何回も洗濯して肌になじみ、その風合いを増し、赤ちゃん時代から幼児になるまで、
その心と体を守ってくれることを楽しみに仕上げています。
江戸時代までは、衣料品のリサイクルはごく当然のことだったようです。
着物は何度もほどいて縫い直し、ツギ布を当て、それでも着られなくなったら、座布団にし、その後は雑巾にして、最期には肥料にするまで徹底したようです。
最近のアパレル・リサイクルのコンセプトは “3R” と称せられます。
Reduce:無駄なものを作らない、ゴミとして出さない。
Reuse:いわゆる古着、中古衣料としての再利用
Recycle:形を変えた再利用。以下の3つに細分類されます。
マテリアル・リサイクル
綿や羊毛などの製品をほどいて繊維に戻し、再び紡績して糸にして再利用
ケミカル・リサイクル
ポリエステルなどの製品を解かしてポリマーに戻し、再びポリエステル繊維にする。(ペットボトルの再利用なども)
サーマル・リサイクル
いよいよどうしようもなくなったら、燃やしてその熱エネルギーを利用する。
ドイツのアパレル・リサイクル率は70%以上に達しているようですが、それは、教会を中心としたボランティア活動で集めた古着を、他の東欧諸国に送ることで達成されているようです。
一方、日本では、他のアジア諸国に送る輸送コストの問題などで、進展していません。東南アジア諸国では、夏物の簡単な服しか需要がないことも、日本のリサイクル率が上がらない理由になっているようです。
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