ピュリツァー賞作家チャールズ・シミックの新刊『コーネルの箱』が出ると知って、思いは子ども時代の七つ道具箱にかえる。ジョゼフ・コーネル、アメリカの芸術家。箱の中にコルクや古写真や月面図などをつめて作品を作った。彼の作品に懐かしい思いを抱く人も多いのではないだろうか。
それでふと、思いが箱にとどまったのだった。箱とは何かを入れるためのもので、筆を入れれば筆箱に、お金を貯めれば貯金箱に、娘を入れれば箱入り娘になる。最後のは冗談だが、江戸時代「箱入りの」とつくと、容器入りという単純な意味ではなく、たいせつにしているものを意味した。浦島太郎が開けてしまう玉手箱は、女性が教養や美容関連のものを収納して座右においていた手箱の美称というが、「玉」は魂に通じる。かつての日本人は、箱を貴重で神秘的なものと考えていたのだ。
コーネルの箱から現代芸術つながりでもう一人作家をあげるなら、ミニマル・アートの代表的作家とも言われるドナルド・ジャッドの箱がある。絵画表現を理性的でないと批判した彼は、箱の形に現代の象徴を見出す。壁面に金属の箱を等間隔に取り付けた彼の代表作を目にした方もいるだろう。現代都市も彼にかかれば箱の連なり。林立する高層ビル群を単純化するなら、たしかに箱かもしれない。
百科事典によれば、ハコという言葉は、朝鮮語のpakoniと同源であり、ハコが大陸から伝えられたことを示しているという。ハコが空のまま海を渡ってきたとも思えない。日本にはじめてやってきた箱には何が入っていただろう。そう想像して、思いは再び七つ道具箱にかえる。友人にも自慢したその箱に何が入っていたか、今では思い出せない。仮にいま空箱を与えられて、ぼくはそこに七つの秘密道具を詰められるのだろうか。そう問うとき、あらためて、なるほど箱につめるのはただ物だけではないと、再確認するのである。
「チャールズ・シミック」による『コーネルの箱』が今回のコラムのきっかけ。コーネルの作品集は、「WebMuseum」で見ることができます。また、ドナルド・ジャッドについては、「The Chinati Foundation」が彼の作品を管理している財団。また、日本語では「「箱に封じこめられた生」ドナルド・ジャッド」の解説が詳しいです。
箱と言えば、、。
思い出したのがこの本です。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4890361383/qid=1070247510/sr=1-3/ref=sr_1_2_3/249-1986903-6265168
箱に入ってるのは自分自身かも!?
はじめまして、私なら、パンドラの筺は実はパンドラの壺であったという話を入れます。あしからず。
因みに我が家の猫は箱に入るのが好きです。
自分が箱に入った男は阿部公房の箱男0
でも気になるのはノアの箱舟です。
やがていつか「地上の全ての動物の遺伝子」を積んだ箱舟が宇宙を漂流するかもね
小橋昭彦様
いつも有益に読ませて頂いております。
私は、3ヶ国(日、英、韓国)をほぼ同じくらいのレベルで駆使できる人間ですが、箱というのは朝鮮語のpakoniと同源であるとは知りませんでした。 私の持っている、小学館の百科事典にも確かに、そのように書いてありました。
一つ利口になりました。 ありがとうございました。
しかし、今のpakoni (本当はpakuni)と箱はだいぶ距離があるのも確かです。
なべ
なべさん、ありがとうございます。
ちなみに、箱とpakuniはどのように違うのでしょうか? ぼく自身はpakuniの意味を知らないので、興味があるんです。もしよろしければ、簡単にでもご教授いただければ嬉しいです。