小橋 昭彦 2003年11月24日

 らくしょ、と読む。詩歌の形で時事や人物を諷した落首(らくしゅ)に由来している。門や塀に貼ったり道に落として世間の注目を狙う。平安時代には落とし文(おとしぶみ)が貴族の間で行われたが、これは恋する相手への言葉、典雅な印象だ。現代の相合傘の落書きにそれに通じるものは探せるだろうか。
 そんなことが気になったのは、寛永9(1632)年にカンボジアのアンコールワットに参拝し落書きを残した日本人のことを知ったからだった。肥前・松浦藩士の森本右近太夫。「父母の菩提のため」「数千里の海上を渡り」などと記されている。彼は何のために落書きを残したのか。400年を隔てて子孫が読むことを思ったわけではあるまい。平家物語の祇園精舎と信じて訪れたアンコールワット寺院に、自らの小さな足跡を残したい、ただそれだけの思いだったか。
 一方の落書(らくしょ)は、同時代への鋭利な切り口が勝負だ。今も傑作として残る「このごろ都にはやる物 夜討強盗謀綸旨(にせりんじ)」で知られる1334年の京都・二条河原落書などが代表作。はじまりは平安時代とされ、嵯峨天皇時代には「無悪善(さがなくばよかりなまし)」なんて落書が広まった。ペリー来航をうたった「泰平のねむりをさますじょうきせん たった四はいでよるも寝られず」は教科書でもおなじみ。
 学生時代に見かけた光景を思い出す。住宅街を駅に向かっていた昼下がり、四十前後とおぼしきひとりの女性が、白墨でアスファルトに円を書き連ねていたのだった。童謡を口ずさんでいる。子どもがいるのかと見回したが、いない。何かいけないものを見た気がして、ぼくは道を急いだ。彼女は何を求めて落書きしていたのだろう。何に対して、表現していたのだろう。電車に揺られる間、ずっとそんな疑問が心から離れなかった。その疑問は今もぼくを、落書きや落書そのものではなく、それが書かれた瞬間へ、さらにその背景へと時間をさかのぼらせる。

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6 thoughts on “落書

  1. *アンコールワットの落書きは現在、消されていますよ。微かに落書きの跡が分かります。

  2. 馬場さん、おそらくその消されている、というのは、ポル・ポト時代のペンキによる上塗りをおっしゃっているものと思いますが、いかがでしょうか。

    11月21日に、森本右近太夫から数えて15代目の子孫の方がアンコールワットに出向き、ペンキが退色したおかげで再び判読できるようになった落書きに再会したと新聞報道にあります。なので、一部でありとも読めるレベルにはあるのかなと。

    ぼく自身は、実物を見ていないのでなんともいえません。ただ、参照リンクで紹介している旅行記の写真などでも、判読できそうな気はするのです。なので、文字数の関係もあり、ポル・ポト政権下での出来事については、いったん書いていたものの、削除しました。

  3. えっちな話でごめんなさい。
    中央大が御茶ノ水にあった頃の、駿河台下の喫茶店で見た落書きです。
    「君は舟、僕は舟人。
     君は僕を乗せ、僕は君を漕ぐ。」
    うまいなあ、と思ってしまい、いまだに覚えています。

  4. タグって最近いいませんか?
    あれって落書きとどう違うのでしょうか?またご存じの方がいらっしゃいましたら教えてください。

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