小橋 昭彦 2003年11月17日

 ぼーる。ちょちょ。くんま。次男が、絵本を指差しながら片言をしゃべる年齢になった。わからないものが出てくると、「こーは」と尋ねる、「ぶどう」と答えると、力強く「ぶど”」と言ってけらけら笑う、描かれた形と言葉を一致させるだけで充分な遊びになっている。それまで曖昧模糊とした何かが、その瞬間に「ぶどう」に結晶しているのだろう。
 彼の視点で今、言葉をはぎとって形だけで世界を見ると、不思議が広がる。目の前にある数十の突起を持つ角ばったものは何であるか。(キーボードだ。)道の上でくねるにょろにょろは何であるか。(ミミズだ。)この突起の多いふにゃふにゃと生暖かいものは何か。(ヒトだ。)言葉をはぎとってなお、言葉でしか表現できないのがもどかしい。
 形で世の中を見ると、ときに新鮮な発見がある。「形の科学会」のウェブサイトには「なぜ形なのか」という解説があり、ウェーグナーが南北アメリカとアフリカの海岸線の形に着目したのがプレートテクニクスに発展したこと、プラトンの正多面体に代表される立体幾何学によって宇宙モデルを作ろうとしたケプラーが、惑星軌道の法則を発見したことなどが紹介されている。
 金平糖の形成を研究した寺田寅彦は「重要だが今は歯が立たない」という主旨の報告をしているが、その見立ては現在にも通用する。金平糖形の尿路結石の原因を探ったり、ナノテクで金平糖に似た汚れ分解繊維を作ったり、金平糖の形は今もさまざまな分野で注目され活かされている。しかし、成長のもとになる最初の凸がなぜできるのかはわかっていない。
 道のにょろにょろも、このふにゃふにゃも、同じように命を宿している。どちらも、口から排泄口まで続く管とみれば同じ形ということか。もっともそれが生命の本質でもあるまい。いくら形に分解しても、生の息吹はまた別のところにある。そこがまた不思議なところでもある。

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