すごろくには盤すごろくと絵すごろく、ふたつの系統がある。盤すごろくの歴史は古く、古代メソポタミアや古代エジプトでも遊ばれていた。ツタンカーメンの副葬品にも「セネト」と呼ばれる遊戯盤がおさめられている。18歳で死去したという若きエジプト王も、すごろくに興じていたのだろう。
盤すごろくはその後も各地に伝えられ、現在でもバックギャモンなどとして遊ばれている。日本にも古くから伝えられており、689年にはすごろく禁止令が出されたりもしているが、つまりは賭博として遊ばれていたわけだ。その後賭博はさいころだけで行われるようになり、盤すごろくは純粋な遊戯盤として、江戸時代には嫁入り道具になるほど普及する。
現在「すごろく」としてイメージされる絵すごろくの方は、教材として始まったらしい。新米の僧に官職や仏名を遊びながら覚えさせるのが目的。日本では13世紀後半頃から用いられたのではないかと考えられており、当初の「官位すごろく」や「仏法すごろく」などはいずれも絵が無い。
絵の入ったすごろくは江戸時代に広まっている。人気を得たのが極楽浄土を上がりとする浄土すごろく。「永沈」というのもあって、ここにコマが来るとゲーム資格が無くなる。いまの「1回休み」の原型だ。さらに江戸時代には東海道五十三次を進んでいく道中すごろくも流行した。
その後、絵すごろくにはさまざまなバリエーションが登場、戦時中には戦意高揚を目的にしたものが現れるなど、世相を反映している(朝日1月11日)。最近では景気回復すごろくなんてのもあるけれど、現実の世は1コマも進めないうちからはや「ふりだしに戻る」と言われているようでもあり、なんだかなあ、である。
すごろくといえば、まず「双六ねっと」をどうぞ。充実した情報源です。東京学芸大学の「双六コレクションデータベース」もよいですね。「すごろくanex」も盤すごろくを中心に充実。「双六」の記述もご参考に。
今日の没ネタ。2001円でメッセージを宇宙へ(朝日1月11日)。
ツタンカーメンの副葬品といえば、エンドウ豆 もありました。そしてこの由緒正しき(?)エンドウ豆 の子孫を我が家で栽培しています。 きれいなムラサキ色のサヤを身ながら、遠く3000年前の時代に思いを寄せるもの、わるくはないかな?
http://farmer.hoops.ne.jp/
すごろくはおもろいっすね。
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すごろくには盤すごろくと絵すごろく、ふたつの系統がある。盤すごろくの歴史は古く、古代メソポタミアや古代エジプトでも遊ばれていた。ツタンカーメンの副葬品にも「セネト」と呼ばれる遊戯盤がおさめられている。18歳で死去したという若きエジプト王も、すごろくに興じていたのだろう。
盤すごろくはその後も各地に伝えられ、現在でもバックギャモンなどとして遊ばれている。日本にも古くから伝えられており、689年にはすごろく禁止令が出されたりもしているが、つまりは賭博として遊ばれていたわけだ。その後賭博はさいころだけで行われるようになり、盤すごろくは純粋な遊戯盤として、江戸時代には嫁入り道具になるほど普及する。
現在「すごろく」としてイメージされる絵すごろくの方は、教材として始まったらしい。新米の僧に官職や仏名を遊びながら覚えさせるのが目的。日本では13世紀後半頃から用いられたのではないかと考えられており、当初の「官位すごろく」や「仏法すごろく」などはいずれも絵が無い。
絵の入ったすごろくは江戸時代に広まっている。人気を得たのが極楽浄土を上がりとする浄土すごろく。「永沈」というのもあって、ここにコマが来るとゲーム資格が無くなる。いまの「1回休み」の原型だ。さらに江戸時代には東海道五十三次を進んでいく道中すごろくも流行した。
その後、絵すごろくにはさまざまなバリエーションが登場、戦時中には戦意高揚を目的にしたものが現れるなど、世相を反映している(朝日1月11日)。最近では景気回復すごろくなんてのもあるけれど、現実の世は1コマも進めないうちからはや「ふりだしに戻る」と言われているようでもあり、なんだかなあ、である。
すごろくはじんせーげーむがいちばんいいべ♪