たとえばつる女房。あるいは猿婿入り。昔話には動物などとの婚姻を描いた話があり、異類婚姻譚と呼ばれている。動物が人間に化ける話が多いのは日本の昔話の特徴で、西洋にはあまり見られないという。生物学の中村禎里氏によると、『グリム童話集』でも動物が人間に変身する例はほんの数例。しかも一例を残してそれらは、魔女などによる魔法の力で動物の姿にされていた人間がもとの姿に復するという設定。カエルと結婚したが魔法が解けてみると立派な王子だったの類だ。
口承文芸研究家の小澤俊夫氏もまた、日本の昔話におけるこの大きな特徴に注目したあと、それらの話が必ず別離で終わっていることを指摘している。たとえばつる女房では助けてもらったお礼に人間の姿になって嫁になった鶴が、もとの姿で機織をしているところをのぞかれたことで、夫のもとを去っていく。猿婿入りでは、父親を助けてもらったお礼に猿の嫁に行くことになった娘が、猿を殺して父のもとに帰ってくる。
そこには、日本の農民の事情があったろうと小澤氏は指摘する。山からの動物と身近に接しつつ、それらに農作物を奪われないように苦心してきた人々。だから動物との対決が主題になりえた。対して欧州の昔話は、動物はコマ回しにすぎず、人と人の関係が主題になる。欧州の研究者は、動物との別離で終わる日本の昔話を、中途半端な幕切れと感じるという。欧州の物語は別離が発端で、分かれた人を探す旅が物語になる。
このところ、わが家の蔵の脇にアナグマが大きな穴を掘り、縁の下にもぐりこんでいる。裏の畑ではタヌキの足跡が残され、山には鹿が木の皮をかじったあと。どうすれば被害を防げるか、そこには人間が優位といった思いはなく、互いの知恵が勝負。動物と人間が裏山で接していた時代のことを、しばしば思い出している。
小澤俊夫博士は現在は「小澤昔ばなし研究所」を主催されています。著書『昔話のコスモロジー』をご参考に。
動物は、去り際に歌を残したりするんですよね。
信太妻
恋しくば たづねきてみよ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉
猿婿
猿川に 流るる命惜しくはなけれども 粟でもろうた嫁恋ひし
私は、本当に涙してしまいます。
いつも、配信されるのを楽しみにしています。
以前、祖父の家の近くの山に高速道路が通った後、猿やいのししが民家までおりて来て、農作物が荒らされて大変な被害にあったそうです。
「お互いのテリトリーを侵さないようにする」たったこれだけのことなんでしょうが、これがとてつもなく難しいことなんでしょうね。
これからも人と動物のイタチゴッコは続いていくことでしょう。
小橋家のアナグマが、速やかに本来自分のいるべき所へ帰ってくれることを祈っています。
知り合いに勧められて、最近ここを覗くようになりました
いつも楽しみにしています
そう言えば古事記にも、自分の正体を見られて去っていく姫がいましたね
僕の知識が偏っているからかもしれませんが、人間がタブーを犯したため、動物が去って行く話が多いような気がします
そこには、元の自然のままでは生きていけず、山や平野を切り開いてきた人間の、自責の念が込められているような気がしてなりません
日本の異類婚姻譚には驚くべき物がありますね。タニシやカマキリですものね。お百姓さんが田の草取りに田圃のタニシを、枝打ちにカマキリの鎌を発想したのでしょうか。民話中に無生物が生き生きと走り回るのは日本の特異的なことなのでしょうか。さるかに合戦では栗の実はともかく臼や地方によっては牛の糞が会話してますものね。小橋さん、そういえばアナグマって狢(ムジナ)ですよね。狸と狢はでは化かされないようにお気をつけください。