小橋 昭彦 2003年6月5日

 散歩をしようと勝手口を出た足元を、トカゲが走りすぎる。見ると尻尾が切れている、子どもへのいい教材だと思いつつ、自分が子どものころと比べて、トカゲの尻尾の再生についてもずいぶん説明の奥が深くなってきていると、そんなことを考える。
 ES細胞という言葉を目にする機会が増えた。受精後の初期胚から培養した、あらゆる細胞になる可能性のある細胞。さまざまな枝に分かれる幹に似ているところから、幹細胞と総称される細胞の一種で、ことにES細胞は血液や神経、心筋にいたるまで広い可能性を持つため、再生医療の鍵として期待されている。ただし、いわばヒトを構成するさまざまな可能性を培養するわけだから、倫理面でも細心の配慮が必要なのでもある。
 再生する生物としてはプラナリアが古くから知られてきた。まっぷたつに切っても、どちらもがひとつの個体として再生する。人間ではこうはいかない。人間のなかで再生能力が高い臓器といえば肝臓で、ゼウスによって山頂に縛られたプロメテウスが、鷲に肝臓をついばまれるという罰を受け、夜毎再生してはまた苦しむというギリシア神話がある。これは肝臓の再生能力を人類が古くから知っていたことを表しているとして有名だ。肝幹細胞は2万から3万個にひとつというから、いかに幹細胞が高い増殖能力、分化能力を持っているかということになる。
 江戸時代の療養所を描いた黒沢明の『赤ひげ』を思い出す。手立ての無い病人を前に嘆く赤ひげに、ぼくたちは多少の助力をできるだろうか。いや、彼は「生命力の強い個体には多少の助力をすることはできる」とも言っている。生命力とは、ただ細胞や臓器にあるのではない。苦しみや悲しみや、あるいは喜びや希望を胸に抱く、それが命の力。
 そうか。岩陰に隠れていったトカゲをなおも目で探しつつ、あらためて思う。考えてみれば、尻尾が切れたトカゲを前に子どもに語りかけなくてはいけないいちばん大切なことは、あの頃も今も変わっていないんだ。

3 thoughts on “再生医療

  1. まず黒沢明監督の『赤ひげ』(DVD)。エンタテイメントとして一流で、しかも泣けて、崇高でもあり。監督自身が自分の集大成と言われていたことに納得。ES細胞については「ヒトES細胞プロジェクト」をご覧ください。「日本発生生物学会」「日本再生医療学会」もあります。また、「トランスレーショナル・リサーチ・コミュニティ」の情報は充実。「再生医療の基礎」もご参考に。プラナリアについては、これだけでもなかなかおもしろいのですが、「プラナリア」、そして「我が青春のプラナリア」をどうぞ。後者はぼくと同じ名字の方ですね、偶然です。

  2. 再生という言葉に感興をそそられます。
    男性の3人に一人は脱毛に悩まされているといわれ、 私もかなしいかなその一人ですが、毛髪をつかさどる細胞の再生技術の確立は皆が待望にしていることと思います。 しかし、再生医療やクローン技術が目覚ましく進歩する中、未だ毛髪一本を復活させる事ままならないというのは、やはりそれが人間の生命に直接関連せず、優先事項としては後回しにされているからなのでしょうか。 市場価値としては魅力のある分野であると私は感じるのですが。 それとも、人間の価値が見栄えによってでしか左右されなってしまうのにはまだ時期尚早で、人に気概のある人間を見分ける力がまだ備わっている事を啓示しているのでしょうか。 しかし幹細胞には期待させられるところですね。

  3. 愁さん、ありがとうございます。毛髪の再生も研究が進められているようですよ。あの有名なかつらメーカーも、もちろん取り組まれているようです。培養毛髪とでもいうのかな。

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