その名も、奇想天外。アフリカ西南部の砂漠に、たった2枚の葉だけで1000年以上も生き続ける植物がある。葉の基部に分裂組織があって、生涯伸び続け、帯のようになる。さすがに葉だけというのは珍しいが、樹木を含めると、植物には長寿が多い。細胞壁のある植物ではガンが転移しにくい、動物は生きた細胞のみで構成されるのに対し、植物は死んだ細胞も利用しているなどがその理由。
もっとも寿命という場合、個体とは何かを明確にしなくてはならない。たとえばヒガンバナは、親球根のまわりに子球根ができて増殖する。親子といっても遺伝子はまったく同じ。縄文時代に食用として持ち込まれたという説が正しいとするなら、ヒガンバナは縄文時代からずっと生き続けていたと表現できないこともない。
生命はざっと40億年前に誕生したとされる。なんども繰り返し現れてもよさそうなものだけれど、どうやらそうではなく、たった一度、生命は誕生し、それがすべての源となったらしい。たった一度の誕生から、ぼくたち動物と植物のようにずいぶん違ったものに枝分かれし、いまがあるということ。それはなんだかとても不思議なこと。
身長も、植物は動物よりずいぶん高い。心臓によって送り出す動物の血液と違い、水分子のくっつきあう力で根から葉に水を運ぶ植物の方法だと、理論的には400メートル以上も吸い上げることができる。もっとも、高すぎると横風などで折れてしまうから、実際には理論値の半分も伸びない。
森林インストラクターの井上俊氏によると、万葉集には73種の樹木が出てくるという。マツやカシ、クリにウメ、サカキ、ウルシ、ヤマザクラ。古代より日本人は樹木に親しみ、歌に詠んできた。たった一度の奇跡から生まれ、その後大きく違う道を歩んだ同胞。その仲間のことを、あらためて思う。淡い色合いだった若葉が徐々に色づいてきた、初夏の一日。
今回、「鈴木英治」さんの『植物はなぜ5000年も生きるのか』を参考にしました。また、塚谷裕一さんの『植物のこころ』も。井上俊さんは『万葉の樹木さんぽ』として研究成果を刊行されています。
タダ一度の奇跡について、神様の「光有れ!」を連想したので、「いつも、面白い話をいつもありがとうございます。」と言う御礼を言いたくなりました。人の一生が、全部記述できるとすると、1mの長さの棒のある一点で分割した小数点ですべて記述できるという話とあわせて考えるととても敬謙な気持ちになります。宗教なんか信じませんが。
>細胞壁のある植物ではガンが転移しにくい
ということは植物にも植物にもガンは
発生するんですかね。
植物も動物も元は一つ・・・・感動しますね。
そして、現在この瞬間に生きている全ての生き物は、単細胞であれ、複雑な構造であれ、全て横一線に並んでいるように感じられます。
高等生物なんていうのは、おこがましい気がしませんか?
植物の癌だと言われているものに、根頭癌腫病(こんとうがんしゅびょう)というのがあります。
根にこぶができる病気なのですが、ある菌に感染すると腫瘍ができ、自己増殖した結果、こぶになるようです。
動物の癌と同じように考えるのは、私としては?ですが。
さて、前々から疑問に思っている事があります。
「もし、地球上から植物が全くなくなると動物は生きていけないのでしょうか。
もし、地球上から動物が全てなくなっても植物は生きていけるのでしょうか。」というもの。
わたしは生物はいろんな線で立体的に繋がっているものと感じます。そう考えると‥‥
大島さん、ありがとうございます。
>植物にも植物にもガンは発生するんですかね。
病の名称としてのガンとガン細胞を別に考えた方がわかりやすいかもしれません。ガン細胞というのは、なんらかの理由で遺伝子が壊れた細胞を言います。それは植物の細胞にも起こるけど、仮に細胞がガン化しても、動物の場合のように広がっていかないと。
興味深い話をどうもありがとうございます。
彼岸花ですが、球根を擦って揉みながら水にさらすとグルテンが得られます。さらしが足りないとかなり毒性の強い植物ですので、飢饉対策にはあまりならなかったようです。日本に入ってきたのは1株で現在のものはほとんど株分けによるものらしく遺伝子的には同じもののようです。
最近、観賞用に青や黄色のものが栽培されてます。