週末は地元の若者団体主催のレクリエーション。田舎では地縁活動が今も盛んで、消防団や子ども会はもちろん、鹿などが里に降りるのを防ぐ金網を張ったりといった奉仕作業もある。多い人になると毎週のように地域の活動が入る。もっとも高齢化が進む中で、こうした地縁組織がいつまでもつのかという悩みも深い。
社会心理学的な興味から山岸俊男博士の『安心社会から信頼社会へ』を手にとる。なかで、統計数理研究所による国民性の日米比較調査の結果が紹介されていた。たいていの人は信頼できるかという問いに、信頼できると答えたのは、アメリカ人が47%に対して、日本人は26%。日本人の方が他人を信頼していないという結果。山岸氏は、日本人は他者を信頼しているのではなく、安心社会に生きているのだと指摘している。たとえば人を裏切れば村八分になるなど、いわば世間が安心を支えていたわけで、人を信頼していたのではないと。一方アメリカでは、個人が個人を信頼するところから社会を、国を築いてきた。日本で安心社会が崩れつつある今は、むしろ信頼社会を築く好機だという指摘。
もっとも、それには多大な努力がいることだろう。並行して読んでいた心理学者・岸田秀氏の『幻想の未来』にこんな指摘があった。アメリカ人が他者を信頼できるのは、互いに神の前に忠誠を誓っているからだと。そうした絶対なる存在がなく、人間関係を互いの基盤としてきた日本で、何によって他者への信頼を築けるだろう。
両氏の主張については深入りしない。安心と信頼。そういえばこれまで、ふたつを明確に分けてとらえていなかった。ぼく自身は、地縁に根ざした活動をたいせつに思いつつ、志でつながれた非営利でのまちおこし活動を楽しんでもいる。おそらくは単純に何かから何かへというのではなく、これらの結びつくところに新しい価値観を生まなくてはいけないのだろうと、そんな決意を新たにした。
今回のコラムのきっかけになっているのが、『安心社会から信頼社会へ』。「山岸俊男」教授は、ほぼ日でも「信頼の時代を語る。」として糸井さんとの対談がありますね。シンポジウム「ネット市場における信頼」も注目。『幻想の未来』の「岸田秀」氏は唯幻論で知られますが、これはちょっと難しいかも。第一歩としては『性的唯幻論』がおすすめ。
世の中には、重量、距離と時間などの測定に、必ず”標準原器”にもとずく「物差し」があり、何処の国で測定しても、この3つのことに起因する現象をお互いに議論し、かつ承認しあえる。アメリカと日本社会の安心原器と信頼原器の違いは、この「物差し」の違いと考えると時として日米摩擦の原因の1つになっているのかなーと考えさせられました。私も未だ克って、我が家の宗派の「日蓮上人」に宣誓をしたことがなかった事に気が付きました。
いつも、鋭い視点のコラムに感心しています。
ものの捕らえ方にこだわりをもつ事は非常に
おもしろく、また自分の身になっていくもの
だなと実感しています。
これからも、お体に気をつけて
連載を継続してくだされば幸いです。
とても勉強になりました。そうですね。
日本人には「優しさ」なんて言うものは「冷血」と呼ばれない為に持っておく物。と本気で感じている人が沢山いるのではないか?と時々恐くなる事があります。
幼い頃拳法を習っていて、その「心得」みたいな本に書いてありました。「誰も見ていなくても、自分と神様は見ている」と・・・例え神様を考えなくても、個人の人間としての誇りやプライドと言う物は無いのだろうか?と考えてしまいます。
いつもはっとさせられることを分かりやすく書いておられるのに感心し、感動を覚えています。
「安心と信頼」は日本とアメリカの基本的な違いが簡潔によく説明されていています。長年企業通訳をしていますが、このような両国の基本にある違いが理解されない限り、貿易摩擦は無くならないと感じているものです。
十数年前にアメリカに数年住んでいたころのことです。道の反対側から歩いてきた知らないおばあちゃんが、今日はいい天気ねなんて話し掛けてきたり、ファミレスのカウンターで始めて会う人と話し合ったりなんて日常茶飯事でした。でも、こんな些細の出来事も日本では中々起こらないことです。当時も日本の方が平和でアメリカは恐い国というステレオタイプに違和感を覚えていましたが、安心社会と信頼社会という分け方は合点の行くものです。ヨーロッパでの同じ調査もあると良いですね。日本は密集社会ですから広々としたアメリカでの生活に比べ、普段の生活で他人から受けるストレスが多いと思います。単に文化面とは異なる違いが大きすぎます。
意志のベクトルが同じ方向に向いているとき、強い信頼感を感じる、というのは仕事をしていてよく思うことです。逆に、合わない場合は信頼感を感じません。そういう信頼感は、集団の中で感じるのではなく、個人間で感じるものですね。安心と信頼、たしかに、この「違い」を考えたことはありませんでした。人間関係は強い信頼感で結ばれていたいと思います。毎回、考えるきっかけを与えてくださるエッセーをありがとうございます。
みなさま、ありがとうございます。新しい気付きや考えるきっかけになったという感想はとてもうれしいです。実際にアメリカに住まれた方、両国の架け橋となっていらっしゃる方の体験談、とても参考になりました。
日本人の昔からある用心深いという精神が人を信用できないといい、
アメリカの人を疑うことを知らない精神こそ見習うべきだと教えるその精神は、あまりにも浅はか。
人と人は元来分かり合えないもの。その中で世界一の長寿国を気付いてきた私たちはむしろ成功でしょう。
犯罪率世界一のアメリカ型社会を日本に当てはめる理由などどこにもない。
安心と安全は、他者との具合のいい距離を作りその中で形成される社会であり、これこそが犯罪を防ぐのです。
日本に必要なのは道徳教育。子供のころからきっちり道徳を教えさえすれば日本は倒れない。