100キロの道の始点に重さ5トンのゾウを立たせる。終点には0.000001グラムのホソバネヤドリコバチ。その間に地上の動物種を大きさの順に並べる。「生命の道」と名づけたこの印象的なたとえに、クリス・レイヴァーズの『ゾウの耳はなぜ大きい?』で出会った。最大の陸生動物ゾウから、二番目に大きなシロサイに会うまでの50キロメートル、道には何もいない。60キロのところでカバ、75キロでクロサイとキリン、90キロでラクダ、それからウマが登場。道程の大半は、こうして会う動物もまばら。大混雑するのは最後の60メートルで、何千種というげっ歯類、鳥類、ヘビ、カエル、コウモリなどなどがひしめく。
レイヴァーズは生命の道を「代謝エンジン」という視点で歩いていく。温血動物にヘビのように長いものがいないのは、球形に近くして体重に対する表面積を少なくするためと説明する。表面積が大きいと、体内で発生させた代謝熱を逃がしてしまう。逆に熱帯に住むゾウは、毛をなくしたり耳を大きくして表面積を広げ、熱を逃がす工夫をしている。
代謝熱を運ぶ血液は心臓が送り出す。ワニは平べったいから35から75ミリメートル水銀柱の力で全身に送れるのに対し、ヒトの場合100から150mmHgないと頭に血が回らない。キリンはなおさらで、300mmHgという圧力が必要になる。ただこれだけの力で肺に血を送ると肺表面の毛細血管が破裂する。ヒトの場合、心臓の右側の部屋から低い圧力で肺に送り、肺で酸素と二酸化炭素を交換した後、心臓の左側に戻る。左側は右の部屋より厚い壁でできていて、高い圧力で全身に送れる。
ちなみに、生命の道においてヒトが立つのは、残り1キロの標識が見えかける頃。動物園でゾウやカバを見て親近感を覚えているぼくたちだけれど、生命の道においては、彼らからはるか隔たり、ネズミやカエルにずっと近い。
ご興味を持たれた方は、『ゾウの耳はなぜ大きい?』をどうぞ。
今回の話しは少しわかりにくかったです。
動物を並べるというときに最初は大きいほうから小さいほうへ種類順に並べているかと思ったのですが、最初の数キロはまばらだということからすると大きさの対数スケールかなにかで並べてあるということですね?
大きい動物が少数派であるという認識はありましたが予想以上に偏っているようですね。
ところで、心臓の左右の圧力仕様が異なるというのは初耳です。少し疑問に思うのは、これは機能の必要から来る結果としてそうなっていったものなのか(つまり筋肉トレーニングで筋肉が付いたのか)、それとも最初から機能に対して遺伝的に設計されてそうなるようになっているのでしょうか?
すみません、重量で目盛りをつけて並べていく、という部分の説明が不足でしたね。
心臓の働きについては、進化で考えた方がいいかな。つまり、必要だからトレーニングしてといった考え方ではなく、かといってある機能が必要だから遺伝的に設計した、といった考え方でもなく、ただそのようになったものが生き残ってきた結果だと。そういう意味では、遺伝的な考え方ではありますけれども。
「生命の道」の話には、少し疑問があります。
重量を長さのスケールで表現するのでは、実際の大きさの感覚とは、かけ離れてしまいます。
重量は3次元で長さは1次元ですので、動物の体を全て球体とし、その球体の直径の数値で比較すると、実感出来るような気がします。必要以上に偏っていることを強調しているような気がします。
例えば、「地球の直径を1mとすると大気の厚さは1mm程度である」といえば、その薄さが実感できます。
私はこの本を読んでいませんので判りませんが、「代謝エンジン」という視点を説明するのに都合が良いから、あえてこの様な比較をしたのでしょうか?
トゥアラーさん、ありがとうございます。
重量は3次元で長さは1次元という指摘、確かにその通りですね。この本の中でも、表面積との関係としてですが、次元の違いが大きな差を生むという指摘がありました。
生命の道のたとえは、代謝エンジンの説明のためというより、大きな動物がいない、ということをわかりやすく表現する目的のためと思います。確かに誇張しすぎるきらいはありますけれども。