小橋 昭彦 2003年3月20日

 抽象表現は苦手なんだけれど、ジャクソン・ポロックの絵画はいい。ドリップペインティングという手法で描かれたそれは、とりとめもなく描線が踊りカンバスを埋めている。だけどそこに感じるのは、乱雑さよりむしろ落ち着き。古里の山に分け入るような。だから、物理学者のリチャード・テイラー教授の論文でポロックの絵画にはフラクタル構造があるという指摘を読んだとき、そうか、と目を開いた。フラクタル構造というのは、細部を拡大しても似たような構造になっているもので、リアス式海岸や木の枝など、自然のなかに多く見かけるから。
 大きなカンバスに立って絵の具をたらすポロックのドリップペインティング。しかし、ただ絵の具をたらせばフラクタルになるかというとそうではない。素人が描くと、細部を拡大すれば線がまばらになり、全体との相似性をもたない。なのにポロックの作品は、彼が技法の洗練を重ねる晩年ほど、フラクタル次元D値と呼ばれる値が高くなっているというから驚く。複雑さを増しているのだ。
 ちなみにD値は1から2の値をとり、平面状に描いた木の枝で表すなら、1なら単なる直線でフラクタルにならないし、2だと全面が枝になりやはりフラクタルにならない。ポロックは一度D値1.9という絵を描いているのだが、破棄している。複雑すぎると直感で気づいたのだろう。
 芸術を科学するなんて無粋だろうか。でも、ぼくがテイラー教授の論文から感じたのは、むしろ芸術家の深遠さだった。木の枝などの自然を生んだものを神と名づけるなら、ポロックはまさに神の感性を身につけていた。いかにして、それは可能だったのか。答えはない。ポロックは1956年、交通事故で一生を終えた。44歳。マンデルブロがフラクタル幾何学を生んだのは、それからおよそ20年のちのことである。

4 thoughts on “ポロックのフラクタル

  1. ポロックについては、National Gallery of Artの「Jackson Pollock」を。Richard Taylor教授の研究については「Richard Taylor」をご覧ください。物理と美術を渡りあるく感性、いいですね。

  2. いつも楽しく拝見させてもらっています。
    今回は、とても懐かしく、面白い話題でした。
    私は15年ほど前、パソコンにマンデルブロート曲線を描くプログラムを打ち込み(本に載っていた、無料のソースコード)、パラメータを変えるごとに、万華鏡を覗いているような気分を楽しんでいました。
    これからもいろんな話題をよろしくお願いいたします。

  3. ポロックは私にとっても抽象画への入り口的芸術家です。彼の作品をロンドンで初めて見たろき、何かピンっときたんです。その「ピン」の理由がわかりました。ありがとうございます。その後、テート・ブリテン(モダンと別れる前のテート)で数年前ですが、ポロック展があり、初期の作品は具象でしたが、ものすごいパワーを感じました。アインシュタイン(誕生日がいっしょです!)がすばらしい音楽家だったり、芸術と数字の世界はどこかつながっているのでしょうか。これからもインスピレーションあふれる「一文」楽しみにしております。

  4. 昨年上野で開かれたMOMA展にポロックの絵が展示してありました。3点並んでいるものの一番右、真ん中と見ても何も感じませんでしたが、一番左のを見ていたとき妙な感覚がありました。それが小橋さんのいう「落ち着き」だったのでしょうか?その感覚が他の2点でも感じられるのかもう一度試みましたがそれはありませんでした。それがフラクタル構造によるもののせいなのかわかりません。でもフラクタルな構造になってたかな?妙な感覚の原因らしきものが思いもかけずわかりかけてよかったです。

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