ぼくたちには歴史は徐々に発展してきたという思い込みがある。進歩史観と言われるもので、哲学者ヘーゲル、あるいはマルクス唯物史観の影響が指摘される。産業でいえば狩猟採集社会から農耕社会、産業革命へという見方だろうし、戦争でいえば一対一の白兵戦から飛び道具の使用、そして大量殺戮兵器の時代へといったところだろうか。
戦国時代においてさえ白兵戦は例外だったと指摘するのが鈴木眞哉氏だ。戦闘に参加した武者が自分の戦功を指揮官に申し立てた軍忠状などの資料をもとに分析、戦場での負傷の60%以上が矢によるもので、残りもほとんどが投石や槍が原因、刀での負傷はわずかだったと指摘している。武士の主たる武器は、本来弓矢だったのだ。
歴史への観点という点で新しい視野を開いてくれたのは、網野史学で知られる網野善彦氏だった。その著書『「日本」とは何か』には、そもそもわれわれは「日本」という国名がいつどのようにつけられたかを学んでいないという指摘があり、はっとする。「建国」記念との整合性がとれないからかと皮肉られてもいるが、どうだろう。「日本」の誕生はおよそ7世紀末のこと。中国からの独立性を強く意識し、古事記をはじめとした「歴史」が作られた時期でもある。
ちなみに、武士の白兵戦伝説は日露戦争後、日本陸軍によって古来の戦法として喧伝されたことから生まれたという。それがその後の無謀で悲しき戦術につながったかと思うと、歴史の解釈はおそろしい。網野氏はその著書で、三内丸山遺跡の豊かな樹木文化に出会ったことで意識して史料を読み返すと、それまで少ないとされてきた山野に関する史料が不思議なほど集まってきたと述べている。いかにそれまで自分が不注意だったかと。歴史を読むときに問われるのは過去ではなく、いまを生きる自分たちの視点なのだ。
今回のコラム、前々回「歴史という観点」の具体編的な内容です。
鈴木眞哉氏の説については『謎とき日本合戦史』をどうぞ。網野善彦氏の『「日本」とは何か』はおすすめです。サイトでは網野氏の「WEB講義」をぜひどうぞ。同じく網野氏には『日本社会の歴史〈上〉』『日本社会の歴史〈中〉』『日本社会の歴史〈下〉』があります。こちらもおもしろいです。
ゲストコラムは、鬱陶しい。
宣伝収入が欲しい事情は理解できるが、なんか邪悪な感じを否定できない。
平山さんとやら
そういうのを邪推という。
そもそもメルマガの広告収入なんて、たかが
しれているものだ。
作者がやる気をなくすので余計な口は謹んで欲しい。
現在、日本も
敗戦直後、占領軍CIE(民間情報教育局)が企図しWGIP
(戦争についての罪悪感 を日本人の心に植え付けるための宣伝計画)
によってもたらされた「思い込みの歴史」から、いい加減開放されたいものです。
平山さん、大島さん、ありがとうございます。
『今日の雑学+(プラス)』においては、一般的な広告枠は設けず、受け付けていないことから、作者としての姿勢をご理解いただければと思います。誌面すべてが、広告ではなく読者のためにあると考えています。
コラムジャック(と呼んでいます)等は、弊誌のファンの方が、同じファンである読者の方に、お金を出してでもこの情報を教えてあげたい、そんな場として活用いただければと願っています。(情報を出したいという読者からの声をお断りするのも横暴かと思って、ジャックというしくみを作りました)
コラムジャックは今年から設けたもので、活用方法が模索されている段階だと思います。読者にとって有益なコラムになるように、こちらとしても立ち入り過ぎない範囲でアドバイスをしています。様子を見ながら、今後のあり方を検討したいと思います。
思い込むのはいけないと言いながら、鈴木眞哉の論を鵜呑みにする。矛盾してませんか?