水中では視界がききにくい。あれは極度の遠視状態になっているからだと、視覚生理学の村上元彦教授の著書で知った。ヒトはものを見るとき、光を屈折させて網膜に焦点をあわせる。水晶体がレンズの働きをしていると説明されるけれど、じつはヒトの眼でおこなわれる光の屈折の、ほぼ3分の2は空気と角膜との境界面で起こる。水と角膜では屈折率がほぼ同じなため、水中ではこの屈折が起こらない。そこでゴーグルをかけて、水と角膜の間に空気の層を作る必要がでてくるのだ。
村上教授の書籍を手にしたのは、夢の色について調べていて、ふと実際にこの世界がフルカラーで見える仕組みはどうだったか気にかかったからだった。答えは錐体という視細胞にあって、これが三原色を感じてフルカラーにする。もっとも、人間にとって色成分はそれほど細かいところまでは必要なく、かなり大雑把。その点は、視覚のもうひとつの要素である輝度の場合が、星明りから真夏の海岸まで100万倍以上もの違いに対応するのとは対照的だ。
村上教授は、著書で赤・緑の色覚異常であることを明かしている。異常という表現にためらいもあるが、教授の表記に従う。そのことを自己紹介すると、赤い紙を見せて「何色に見えますか」と尋ねる人がいるという。そんなの英語ならredだし、ぼくたちは緑色でも信号を「青」という。ただ色を尋ねることはむなしい。
色覚検査には、石原式と呼ばれる検査表がよく使われる。日常ではありえない、鋭敏すぎる検査。列に並んで待つとき、淡い色並びで描かれた文字を答えられるか、ぼくでさえどきどきしたものだった。読めない人の心の傷はどうであったか。比率からいえば、色覚異常者はクラスに2、3人はいる計算になる。あるチョーク会社は、村上教授の指摘ではじめて黒板に赤いチョークで書いた文字が見えにくいことを知り、朱色のチョークを開発した。そう、ぼくたちはむしろ、自らの心の盲点に自覚的であらねばならない。
村上教授の著書『どうしてものが見えるのか』は残念ながら絶版のようです。「目にやさしいチョーク」をご参照ください。色彩については「ABC of Color」などご参考に。
いつも軽妙な話題、有難うございます。
自動車の運転免許試験で法学部の教授が、「法規」は専門だから、勉強する事は無いと、受けました。
○×の問題で、「消防自動車の車体の塗色は赤色である」と出たので、当然常識で○にしたところ、見事落ちました。
消防車は朱色なのです。
「緊急自動車の車体の塗色は、消防自動車にあっては朱色とし、その他の緊急自動車にあっては白色とする」と運輸省令(当時)で決められているからなのです。
「色の道」を極めるのは、難しいですね。
私自身色弱です。
医学の世界でも「第2色覚異常第3度」などと診断名がついて、色覚異常という表現が使われています。大多数の人と、色が違って(異なって)見えることから、異常という表現が使われているのだと思いますが、他に表現方法がないのかもしれません。
色覚異常の人は日本に300万人ほどいるといわれています。どうして識別されなければならないか。小学校、大学入試、就職試験の三回、検査を受けましたが、合理的な説明を受けたことは一度もありません。
検査表はもともと旧日本軍の徴兵検査用に開発されたものが原型で、非常に短時間で色覚異常を発見できるので、改良されつつ現在も使われています。
来年度から、小学校ではこの検査がなくなります。不都合はないのでしょうか。
色が違って見えるということは、色のついた絵を描くと判ります。私が感じた色を私が選択した絵の具で表現すると、異常でない人がみるとやはり異常に見えるのです。ただし、赤が緑に見えるなどという単純な話ではありません。大変表現しにくい話ですが、微妙な色感が異常なのです。物の赤の波長は、絵の具の赤の波長と同じなので、まず間違えることはありません。原色ではない色の波長がこんがらがってしまう、という感じでしょうか。
小学校で検査をしないということは、例えば図工の時間に発見されかねないということを意味します。本人の自覚の有無は別として、予め識別されている場合と、されていない場合では、対処の仕方が大きく変わるはずです。
中学校の美術の時間に、先生が私の絵をメチャクチャな色(異常でない人の色)に変えてしまったことを思い出します。私は自覚していたので平気でしたが、もし無自覚のまま、こういう経験をしたら大変なことになるでしょう。
ウェブサイトはカラーです。ときどき、とても見えにくいサイトにぶつかります。結構なストレスです。たかだか300万人の都合ですが、少しは配慮してもらいたいものです。色覚異常に配慮した色使いにするためのパレットも開発されているそうです。
高速道路でも様々な色使いで情報が表示されていますが、本当に識別できない人もいることを忘れないでもらいたいものです。
20数年前、内定後の身体検査で、“色覚異常”とされて内定を取り消された過去があります。
これについては何冊か本が出てますが、『つくられた障害「色盲」』(高柳泰世、朝日新聞社、1996)が特に有名ですよね。
子供のころ色覚検査が何を調べるものなのか全く分かっていなかった私は、
検査のときに誰かを傷つけるようなことを言っていたかもしれない。
自分も「ちょっとした身体的特徴」を持っていることが後に分かって、
内定取り消しの恐怖におびえた。
もしあの時、あなたは障害があるから、、、と今の会社に断られていれば、
私は世間と自分の障害を、恨んでいたかもしれない。
よく言われることだけど、誰もが障害を持っている。
それが目に見えたり、見えなかったり、計測できたり、できなかったりするだけ。
みんなが見やすい朱色のチョークを使えば、みんながうれしい。
バリアフリーって、みんながハッピーになるための方法の一つだと思う。
私の場合は色覚過敏と言うのか、赤やシアンの色を見ていると吐気がします。輝度が高くなければいいのですが、黒地に白文字といったものでもストレスを感じます。
>加島さん
色覚異常については、どの色がどのように見えるのか、また、環境など千差万別で、現実には配慮しにくい場合もあります。
ウエブサイトで見難い色に当たった場合は、自分の見えやすい色を書いたユーザースタイルシートを活用するのもいいのではないでしょうか。
もちろん制作者の方がしっかり対応してくだされば良い話なのですが・・・。
小学校入学時の色覚検査で「なんでわからないんだ」と、何度も何度も検査されたことがいまだに忘れられません。
そのときは屈辱でわんわん泣きました。
大学進学時に希望していた理系は無理だと担任に言われて、親に理不尽な怒りをぶつけたこともありました。
当時の心の痛みを久しぶりに思い出しました。