小橋 昭彦 2002年11月4日

 文章は、手を入れれば1割か2割は短くなる。ほとんどの接続詞は削除可能だし、同じことを繰り返していたり不要な説明だったりする箇所も必ずある。オッカムがざりっざりっと削ってくれるわけだ。
 オッカムというのは14世紀のスコラ哲学者で、「不必要に実体の数を増やしてはならない」という言葉で知られている。これがオッカムのかみそり。やさしい文なのに頭に入ってこないのは、「実体」という訳語がわからないからか。科学方面でよく使われる表現になおせば、「もっとも単純な説明が最良であることが多い」。ふたつの理論が同じことを言っているときには、単純な理論の方がよいというわけだ。
 伝えられるところによれば、教皇に異を唱えたオッカムは、バイエルンの皇帝に庇護を求めたとき、「陛下が剣で私を守ってくださるなら、私はペンで陛下をお守りします」と述べたという。その決意ゆえか、彼はいまでも、実在するのは個物だけで普遍は名称にのみあるとする『唯名論』の代表的論者として伝わる。ちなみに、彼の言葉から連想する「ペンは剣より強し」ということわざは、19世紀イギリスの作家リットンの戯曲『リシュリュー』によって知られるようになったもの。
 オッカムの時代からすでに700年近く経つ。いまでも彼のかみそりは鋭さを保っているが、ときには「悪か正義か」みたいなむちゃなそぎ落とし方をして戦いに突っ走る政治家がいたりもして、「普遍的な悪なんて無く、個々の人や民族があるだけじゃないの」なんて問いたくもなるが、深入りしないでおく。
 ともあれ、こういう時代だからこそ、ペンは剣よりも強いと信じたいけれど、残念ながら理想にすぎないことが多い。調べてみると、この一文の前にはひとつの前提があったのだった。「Beneath the rule of men entirely great」つまり「完全に偉大な人物の統治のもとでは」。なるほど、そういうことか。

3 thoughts on “オッカムのかみそり

  1. 地名を自分(他人でもいいのだが)の『通り名』として扱うのは、歴史上の人物ではごくごく自然なことです>Yoshiさん。

    日本人でも『大岡越前』とかの例もありますよね。

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