しばらく前から、カンブリア紀の大爆発のことが気にかかっており、コラムにまとめようとしてはとまっていた。そんな矢先、スティーブン・ジェイ・グールドが死去したとの報が入る。バージェス頁岩に光をあて、カンブリア大爆発に注目を集めた立役者だ。
話が前後した。カンブリア大爆発とは、それまで単純な形態しかなかった生命が、5億年あまり遡るカンブリア紀になって、よく利用されるたとえだけれど、神様が粘土遊びでもしたようにさまざまな形態となって一気に現れたことを指していう。カナダのバージェス頁岩には、この時期の化石が、硬い骨格だけじゃなく、軟体性のものも含め奇跡のように数多く残っている。
グールドは、こうした大爆発の事例を紹介しつつ、進化というのは、これまで考えられているように自然淘汰によって漸進的に行われるのではなく、偶発性も盛り込みつつ、断続的に進化するのでは、と説く。仮に生命の歴史をリプレイしたら、同じ偶然が起こる保証がない以上、人類にたどり着くことができるかどうかと。
これに対して、漸進的進化論の主たる論客は利己的な遺伝子説を唱えるリチャード・ドーキンス。近作『虹の解体』でもグールドの説に手厳しい批判を加えている。グールドに対する反論は、バージェス頁岩研究の中心となっていたサイモン・コンウェイ・モリスも述べている。同じ環境化にある動物と植物が似た形態になる収斂(しゅうれん)と呼ばれる事例があるように、生命のテープをリプレイしたとしても、環境に応じて生命は進化し、人類のようなものが生まれるには違いない、と。
かようにさまざまな意見があり、ひとつの視点に定まらない。それがコラムとして触れることの難しさにつながっていた。だけど、こうしてさまざまな見解がやりとりされる、その多様性こそ人間の豊かさなのだ。グールドの書名にいわく、まさにワンダフル・ライフ、素晴らしき哉(かな)、人生! である。
さようなら、グールド教授。
まず書籍ですが、グールドの『ワンダフル・ライフ』、モリスの『カンブリア紀の怪物たち』はぜひ。そこにドーキンス『虹の解体』を重ねてください。それから、これは傑作『科学の終焉』を併読すれば、理解が深まります。
サイトでは、カンブリア紀の生命については、「最古の動物群化石」「動物比較情報研究分野」あたりをご参考に。「生命の誕生」もどうぞ。
グールドの本は読んだことがないんですが、ドーキンスの『虹の解体』は読んでいたので、今日のコラムはちょっと面白かったです。
関連書籍にドーキンスの『ブラインド・ウォッチメイカー』も加えてもらえたらな、と思います。(ぼくもいまちょうど読んでる途中なんですが。)この本の内容は、現代の「遺伝的アルゴリズム」の基礎になっていたりして、いろいろな面で興味深く読んでいます。
カンブリア紀の大爆発、一瞬恐竜の絶滅のことかと思いましたが、その後を読み、前にNHKのスペシャル番組で見た生物の大発生とわかり納得
グールドについては知りませんでしたが、ドーキンスは 中村桂子氏の本で知り、利己的遺伝子のことは確か、SELFISH云々の訳で我々は単なる遺伝子の乗り物にすぎないと喩えられていたように思います。
グールドの訃報はショックでした。まだお若かったと記憶しています。
私はモリスの『カンブリア紀の怪物たち』を読んでカンブリア紀の大爆発について知りました。すごく面白くて、その後カンブリア紀の大爆発に関する著書を探して読みました。その中にグールドの著書もありました。
彼の著書はもう読めないということですね。残念です。
4億年ほど前に「人類」が誕生したという説があります。「ICA・模様石に秘められた謎」コルネリア・ベトラトゥ、ベルナル・ロイディンガー共著(文藝春秋)には、1771年にコロンビアで「人間と恐竜の化石が同じ場所から発見された」と示されています。オー・パーツやミッシング・リングなどが示すように、「進化論」そのものが決定的な答えを持っていません。私は、創造主(宇宙の意志)が人間の「魂」を創造され、宇宙資源から人間の肉体を造って宿らせたという説を信じています。だって「特別な存在」を造るからこそ、準備として植物を発生させ、カンブリア紀に動物を大量に造られて、人間の誕生に舞台を用意されたと考えることが合目的的だと思うのです。いかがでしょうか?