小橋 昭彦 2002年5月23日

 今でこそふくよかで丸い顔をした東大寺の大仏だが、作られた当時は細おもてだったらしい。東大生産技術研究所の池内克史教授らのグループによる研究結果だ。東大寺の大仏をコンピュータ・グラフィックスで再現、それに東大寺に伝わる文献から拾った顔や目、鼻、口などの大きさをあてはめたもの。
 天平時代から座ったままで運動しなかったから太ったというわけでは、むろんない。大仏は、開眼の約100年後に地震で頭が落ちたり、源氏と平氏の戦いで大仏殿が炎上したり、戦国時代に焼き討ちにあったりしている。そのたびに修復されてきたわけだが、そのどこかで変わってきたらしい。
 それで、修繕ということが気になって調べてみる。最初に思い出したのが、中国映画『初恋のきた道』に出てくる、陶磁器の修理屋だった。映画のように売り歩く風景こそ日本では見かけなくなったけれど、金継ぎとして成り立っている。映画では金属で縫うように直していたが、日本の金継ぎはご飯粒や漆を使う。継いだところに金粉を塗って、修理箇所が生み出す偶然の妙を楽しむ。西洋ではこうした考え方が通用せず、外観を元通りにすることが求められるのだとか。
 油絵の修復はどうだろうと、東京芸術大学の歌田真介教授による『油絵を解剖する』を読んだ。そして、油絵が単に絵としての芸術性だけでなく、技法や材料も画家の能力ととらえられると知って目を開かれた。どんな画布に描くか、どんな油を利用するかで、保存性がまったく違ってきて、つまりは修繕のしやすさにつながるのだ。
 著者は、黒田清輝以降の日本の洋画は、技法や材料がしっかりしておらず、信じられないようないたみ方をするものが多いという。それに先立つ高橋由一らが技法も正しく日本に広めようとしていたのに対して、黒田以降は表現ばかり輸入して技術を学ばなかったのではと指摘している。
 金継ぎをして瀬戸物を使い続けたり、あて布をして衣服を着続けたり。貧乏なように見えて、その実、使い続けられるだけの素地を持っているということであり、今を未来へつなげる行為として、豊かで、深い。

9 thoughts on “修復する

  1. かつての日本人の長所は一体どこに行ってしまったのかと嘆く昨今です。敗戦とともに全ての過去を否定しすぎた結果か。反動でアメリカナイズされ過ぎて、気が付いてみたら、安っぽいプラスチックのあふれる中でおぼれそうになっている私たち。この国の行き着く先は・・・?
    少し、今日は悲観的気分なのです。

  2. 日本の修理、西洋の修復。日本で数少ない陶磁器修理のプロ、甲斐美都里さんの著書「古今東西陶磁器の修理うけおいます」(中央公論新社)わかりやすいですよ。

  3. 息子の研究室の仕事を紹介してもらって有難うございます。ホームページも見てやってください。http://www.cvl.iis.u-tokyo.ac.jp/~sagawa/index-j.htmlです

  4. ふじゆりさん、ありがとうございます。書評を見かけて気になっていた書籍なので、一度読んでみます。

    sagawaさん、池内研究室、息子さんの研究室でしたか。こういう偶然、楽しいです。コラムのきっかけを作っていただき、ありがとうございました。

  5. 大仏の修復で顔が変わる話を読んでですが、先日、お客さまを訪問したら、応接室に「二宮金次郎翁像」がおいてありました。今時珍しいので話題になったのですが、随分と温和な顔つきをしていました。小さい頃見たときはいかにも苦学の人という感じで厳しい顔だったのですが、時代ともに変わるものだと感じていました。
    因みに何故応接室に「金次郎像」があったかというと、さる会社の創立記念の記念品で頂戴したので、その会社の方が飾ってあるのをご覧になるまではおいておくとのことでした。

  6. 修復で思い出したのは、藤田 宣永著(新潮社刊)の「壁画修復師」です。 フランスの田舎に長期滞在しつつフレスコ画の修復に打ち込む男の話です。

  7. 小橋様:

    「古今東西・陶磁器の修理うけおいます」の著者の甲斐でございます。お取り上げいただき有難うございます。私、50代のおばはんの癖に一昨年、東京芸大大学院美術研究科・文化財保存学・保存修復・工芸専攻の修士課程に堂々の「現役入学」を果たし、つい先月優秀な成績で修了致しました。文化財に限らず愛着品の保存・修復について、今後もよろしくお取り上げくださいますようお願い申し上げます。若い同級生達(日本画・油画・彫刻・工芸など七つの専攻)の励みになります。よろしくお願い致します

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