諸病封じ、千本釈迦堂の大根焚(た)きに参る。子どもの分の大根をおまけしてくれて、ほくほく、親子でつつく。見上げた本堂は1227年の造営。応仁の乱で焼け残った、京都でも最古の建築物だ。
この本堂建築に参加した大工に、高次という人がいた。大役にはりきっていたことだろう。ところが、誤って柱の一本を短く切り落としてしまう。とりかえしのつかないこと。意気消沈する夫を見て、その妻は仏様に、夫を助けてくれるなら自分の命をさしだすと祈る。そして「斗組(ますぐみ)」という、短い木を組みあわせて作る新しい建築法を得る。おかげで本堂は無事完成、高次は功績をほめたたえられた。しかし妻は、仏様との約束だからと自刃(じじん)する。
妻の名を「おかめ」という。本堂に向かって右手に、大きなおかめ像が建っている。ふっくらした、ふくよかな顔。お多福さんと呼ばれたりもする、よく知られた顔だ。現在「おかめさんみたい」というと、どちらかというとおかしみのある顔をいうけれど、もともとは美人と美徳の象徴だったのだ。
由来を知ると、おかめさんの顔もいっそうふくよかに見える。そういえば子どもにと渡された小さな椀には、親の椀よりひとまわりちいさな大根が入っていて、おおきな焚き鍋から探し出してくれたんだな、と振りかえる。よそってくれた人、どんな顔だったろう。
あたたまった体で、天満宮まで足をのばし、まつぼっくりを拾いながら帰った。あたたかいのは、体だけではなく。
おかめさんと千本釈迦堂については「京都商工会議所女性会」の情報がよくまとまっています。
私は飛騨高山の出身です。高山には飛騨国分寺が建っ
ておりますが、今回の話と類似している言い伝えがあ
ります。天平18年(746)の大塔が建った時、大工頭梁
は誤って柱を短く切ってしまい困っていたところ、娘
八重菊の考えから枡組で補い塔は見事に完成しまし
た。名声が高まるにつれ頭梁は秘密を守るため八重菊
を殺し境内に埋めて塚の傍らに一本のイチョウを植え
ました。イチョウは薄命の八重菊に代わって樹齢1.200
年今も丁々天に聳えて生きつづけています。昔から乳
のない婦人に授乳の信仰があり、乳イチョウと呼ばれ
てきました。飛騨国分寺境内のイチョウ側に記載され
ており、高山市民のほとんどが知っていると思います
よ。
ほうとうだ。「飛騨国分寺」にも紹介がありますね。いがらしさん、ありがとうございます!
千本釈迦堂の大根焚き、いい思い出ですね。お子さんも同じ体験を共有しているなんて、素晴らしいです。
私は小さい頃、山形にいたのですが、この時季になると芋煮会を思い出します。ただの食いしんぼの思い出ですが、土地の行事のある地域で育ったことは、本当に幸せなことでした。
おかめ顔は美人であったのがいつのまにかブスの代表になってしまった歴史があります。
能や歌舞伎の「釣女」がその典型的な例です。
しかし、ブスゆえに守り神になるパワーがあるのです。
その辺の詳しいことは
大塚ひかり『太古、ブスは女神だった』マガジンハウス
に詳しいです。
おかめ顔は「なかひく」で、美女は「なかだか」という伝統があります。
松島奈々子の人気を見ると今もってその意識が残っているのかな、と思います。
でも、おかめさんのお顔は笑顔がすてきで、気持がほっとしますね。