秋も深まった一日、京都六角堂に遊ぶ。裏手の池に白鳥が泳いでいて、子どもが飽きず眺めている。そばの案内板を読んでいると、そこはいけばな発祥の地、つまり池坊。代々寺の経営管理にあたっていたのが池坊だったのだ。名前は池のかたわらに住んでいたことに由来している。
いけばなは、立てた枝を神とみる依代(よりしろ)など古代からの習慣に、仏教伝来とともに供花(くげ)が伝わって始まったとされる。着物姿で座敷に座る様子を連想するが、初期のいけばなはそんなものじゃない。のこぎりで枝を切ったり、背丈ほどの木を扱ったり。巨大な盆栽とでも表現しようか、そんなものを床(とこ)に飾っていた。立花(たてはな)とよばれたもの。
こうした取り組みを最初に理論化したのが『池坊専応口伝』で、これが池坊の歴史がいけばなの歴史に重なるとされるゆえんでもある。「野山水辺おのづからなる姿を居上にあらはし」、つまり表面上の美しさを求めるのではなく、自然にある宇宙観をひきだすものと。
いけばなはその後茶の湯のなげいれなどを経て徐々に庶民に親しみやすい形となっていき、江戸時代になって現在につながる「生花(せいか)」が広まる。明治維新で一時衰退したが、その後復興、戦後はさまざまな流派が登場、池坊や小原、草月などよく知られたもののほかに現在全国で2000ほどの流派があるともいう。花にいろいろあるように、花の美しさを引き出す流儀にもさまざまあるわけだ。
「おかあさん、あっちだよう」
子どもが白鳥に声をかけている。くちばしの白い白鳥に、黄色いくちばしのいる方向を指さして。彼もまた、彼なりの流儀で自然の楽しさ、美しさを感じているのだろう。
ということで、まずは「池坊」でしょうか。「草月」の情報も充実。ほか、「いけばなインターナショナル」などもどうぞ。
高校生時代に華道をかじって以来
いまでも家に生け花を絶やさないようにしています。
造花は生きた花の代わりにゼッタイならない
うまくはいえませんが生き物のよさがあります。
しかし、六角堂に行ったとき、
ここがいけばなの発祥の地かと感慨に浸りながら
ひとり、柳の枝におみくじを結びつけているときに、
突然首の下の背中の部分に何かが強く当たった!
一瞬何かわからなかったのですが、
私の頭上後方から前方に向かって飛び立つハトで
ハトにキックされたと気が付きました!
そのときには大勢のハトに取り囲まれていました。
おみくじ売り場にハトのえさも売っていますね。
おみくじを買うのをハトが見ていて
私がえさを買ったと思ったのでしょう。
(実際にはおみくじだけでえさは買わなかった)
「はやくえさをくれ」と催促したのでしょうか?
六角堂で遭遇した忘れられない「事件」です。
京都、大分長いこと行ってません。私は特に秋の京都が好きです。私の家族は母と姉が池坊で、私は広山流(池坊から枝分かれした流派で、皇室もそうだと聞いています)です。広山流の生け方は、極端に短くしたり、曲げたりせずになるべく自然の姿を水盤に生けるということを大切にしています。ある程度余裕のある空間が必要ですから、狭い部屋には不向きかもしれませんね。母や姉は「やっぱり池坊がすっきりしていて良い」と言うので、最近は生けていません(私のアパートが狭いのもありますが)。花や枝にも表と裏があって、どの角度が一番その花や枝が綺麗に見えるか(生きるか)を見極める目と心が大切です。それに全体のバランスもあるので、長年生けていても一つとして同じものはありません。今は「悦子流」で生けていますが、生けていると心に安らぎを感じ、優しい気持ちになります。私は流派には捕らわれず、色んな器にビー玉(重石と剣山の代わりにもなって、透明ガラスに入れるととてもきれいです)などを入れたりして楽しんでいます。たった一輪の小さな草花でも、お部屋にあると心を和ませてくれます。男性も是非生けてみてください。