あいかわらず数字にこだわっている。ラッキーセブンはいいとして、日本での聖数といえば八。末広がりだからというのは漢字伝来以後の理屈であり、八百万神(ヤオヨロヅノカミ)やヤマタノオロチにみられるように、それ以前から神話などに登場している。八には多いという意味があったから、極限の数への尊重の思いがあったということだろう。
そういえば「一か八か」という言葉があったと思いだす。一は丁、八は半の字の上半分を取ったもので、丁半賭博からの言葉という。ついでに「ピンからキリ」にふみこむ。ピンはポルトガル語のpintaといい、サイコロの一の数。キリの方は「限り」の意味の「キリ」らしい。相撲で余興として演じられる「しょっきり(初っ切)」などと同じ用法だ。
で、初めから最後まで数える、その数え方も世界にはいろいろあって、ぼく自身は習ったことがないけれど、ドイツ語では21を1と20というそうで、1の位と10の位が逆転している。英語は20と1だけれど、シェイクスピアはone and twentyという表現も利用している。英国本土はその昔ゲルマン系の民族が入ってきたわけで、その名残というわけだ。ちなみにtwenty oneという順序になったのは、11世紀以後フランス語が公用語になった300年間のこととも推測されている。
21。数え方はともかく、この数字には甘美な響きがある。サミュエル・ジョンソンの詩「One-and-Twenty」にいわく、「風のように激しく、羽のようにかろやかに」。21歳。あのころに、いまと同じだけの探究心があればと、今にして思う。
今日の没ネタ。被子植物の花粉誘引細胞特定(高知8月24日)。アフリカゾウ、草原と森林で遺伝子に差(高知8月24日)。人間に長寿遺伝子(日経8月28日)。ウナギの謎の産卵地探索、一歩前進(朝日9月3日)。
私は中国貿易をしていますが。
中国でも8が幸運な数字とされており
電話番号xxx-8888とか車のナンバー
8888などは高額で取引されています。
理由は漢字の末広がりだと思うのですが
はっきり分かる人が居ません。
日中の関係が弥生時代頃まで遡ると考えれば
日本の8信仰も中国の影響が強いように
思えます。
「キリ」は「クロス」=十字、といった言葉からの転という説も聞いたことがあります。
21と云う数字が何度も出てきますが、21って云えばBlackJackを思い出したのは私だけ?
BlackJackの役にも777が強いってのがありますね……と、おとといのネタに戻ったりして
花札説(1月をピン、12月をキリ=桐)を今まで信じてました。
さらに12月が桐になったのは、小タロットの最後のカードが王(キリ)であるところからという話もあります。
しかし、キリ=王だとすると、「ピン=最上位・キリ=最下位」はまちがっているような。
一は半で、八は丁ではないでしょうか?
確かに、目が揃った、つまり「調」「重」である「丁」は偶数で、目が揃わない中途「半」端な「半」は奇数ですね。だからそのままなら、ほんちゃんさんのおっしゃるとおりです。
まあ、でもそれにこだわらず、純粋に「丁か半か」を文字遊びから「一か八か」といった賭博用語ってことで理解していいのではないでしょうか。
twenty one 21才
真実に、何と甘美な響きでしょう。
巷を闊歩していた頃の姿が思い浮かびます。
確か、有吉佐和子の 「木瓜の花」 の中だったと思いますが、老齢になった友達同志の一人が「若い頃に今のような 知恵を持っていたら、人生変わっていたかも知れない」と
言うくだりがありました。
まだ、若い頃でしたが印象的な言葉でした。
現在、半世紀を過ぎた年になりましたが、
若い時に、そのような知恵がないからこそ、人は
様様な人生を生きていけるのだと思います。
冒険もできるし、失敗もする。
人生の終わりに、それぞれの思いはあるでしょうけど
振り返ってみて、21歳の時の自分、31歳の時の自分、、、
そして、現在の自分、、、
大切に、大切に思い起こして、懐かしみ、さらに
希望を持ちこれからを過ごして行きたいと思います。
昔、企画会社に籍を置いているときに、企業の○周年イベントの受注を目指して、いろんな数字に凝ったことがあります。そのときに、「8」について調べたことがありました。
「8」は、日本では末広がりですが、西洋では「復活・再生」を象徴するという説があり、キリストの復活が8日目であったこと、音階のドレミが7音で8音目に、もう一度ドに戻る、というのも、そうした思想の裏付けがあってのことであると・・・。
この数字の逸話を盛り込んだ記念イベントのプランが採用されたこともあって、それ以来、私のラッキーナンバーは8になりました。