小橋 昭彦 2001年10月3日

 かんこうば、とよむ。工場ではない。商業施設だ。場内に工場を併設して即売、ものづくりを振興をしようという「勧工」の狙いをもった場、といったあたりが語源らしい。
 勧工場がはじめて登場したのは1878(明治11)年。その前年、産業振興のための「第1回内国勧業博覧会」が政府肝いりで開かれた。そのために買い集めた名産品などの売れ残りを販売処分する場を作ろうというのが目的だったという。
 場内では陳列販売が行われており、下駄や靴のままで買い物ができる。商品に品名や代価が記された「正札制」がとられてもいる。従来の呉服店などで行われた、商品を取り出してきて座敷で見せつつ商談する「座売り」からの大きな改革。
 1880年にこの施設は民間に払い下げられ、以降多くの勧工場が作られる。1902年には東京だけで27店舗があったといい、大阪でも勧商場とよばれ広がった。
 ただ、庶民は買い物をするというより、商品を見て歩く楽しみの場として利用していたようだ。夏目漱石の作品にも『我輩は猫である』はじめしばしば登場するが、散歩などと並ぶ娯楽的な書かれ方をしている。
 ピークを迎えた勧工場は、その後激減していく。1904年に株式会社化した三越呉服店をはじめとする、百貨店の登場が背景にある。三越のデパートメントストア宣言が1905年のこと。その後、法的規制なども乗り越えつつ、百貨店は栄えていく。その退潮のきざしは1960年代。代わって台頭したのがスーパー。1972年、ダイエーの売上高が三越を上回った。
 時代は流れて2001年、そのダイエーの売上高を抜き去ったのがセブン?イレブン・ジャパン。大手スーパーの倒産もあり、ふたたび消費の主役が交代している。
 もっとも、伸びていたコンビニエンス・ストアもはや安泰とはいえなくなってはいる。栄枯盛衰とはよく言ったもので、時代の必然は平家物語の頃から変わっていない。

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