映画制作の教科書執筆をお手伝いしていた関係で、フレームレートという言葉になじんでいた頃のこと。
映画は一般に1秒間に24コマだけれど、スマートフォンの動画撮影機能の設定では60コマを標準設定にしている。ふと気になって、純粋に人間が認識できる「断絶」を確認すると、フリッカー値という指標があった。こちらはヘルツで表現する。
フリッカー値は1秒間に光を点滅させ、チラついて見える限界の頻度を表したもの。60回ならまず問題なくチラつきは感じない。30回だとチラついて見えることが多いが、目が疲れたりするとそれでも連続して感じる。
そう考えると映画のコマ数はずいぶん粗いけど、それを補っているのが想像力というか脳のはたらきということになる。
ちなみにミツバチのフリッカー値は300ヘルツほどというから、人間の5倍。羽ばたきが充分目に留まるレベルで、映画なんて見せたらカクカクして仕方ないことだろう。
脳が映像を補うと表現した。それが生んでいるのが錯視。各種の文献を見ると錯視は人間だけに限ったものではない。
たとえば直線の両端に内向きないし外向きの矢羽根をつけることで、同じ長さのものが違って見える「ミュラー・リヤー錯視」がある。2018年の論文でイヌも騙されることを厳密に検証されていたが、鈴木光太郎『動物は世界をどう見るか』には、ハエもこのミュラー・リヤー錯視にひっかかるとあった。
あるいは、同じサイズの扇形を上下に並べると下の方が大きく見える「ジャストロー錯視」は、ニワトリでも騙されるという。
もっとも、錯視の観点からは重要なのは同じように騙されることより、種による違いかもしれない。心理学の中村哲之准教授の論文に、「アモーダル補完」に関するヒトとニワトリやハトとの違いが紹介されていて興味深い。
アモーダル補完とは、たとえばグレーの線分の上に黒の線分が横断していた場合、その隠れた部分でもグレーの線分が続いていると補完して知覚するもの。
ヒトでは一般的なアモーダル補完が、ニワトリやハトには無い。
結局のところ、見えている物から即物的に判断するのがニワトリやハトであるのに対して、ヒトは見えないものも想像で補い、全体をとらえようとするということらしい。
考えてみれば映画においてもそれは言える。瞬間瞬間よりも、ひとつながりのストーリーとしてとらえようとするヒト。
それはきっと、ヒトの脳がもたらした、またとない恵みではないか。
それなのになぜ今ヒトは、目の前のシーンや一言の発言を即物的に切り出して、当人が持つ思いや物語を想像することをやめて非難するようなことをしているのか。
ぼくたちははいま一度、全体を、物語をとらえるという、自分たちにもたらされた恵みを振り返るべきではないだろうか。そんな気がして、なぜか少し哀しくやるせない。
冒頭で触れている映画制作の書籍は『映画制作の教科書 プロが教える60のコツ』(メイツ出版)です。
イヌのミュラー・リヤー錯視については、「Truth is in the eye of the beholder: Perception of the Müller-Lyer illusion in dogs」を(「犬にも目の錯覚(錯視)が起こるのか?ミュラー・リヤー錯視に関する検証実験」に日本語による分かりやすい解説あり)、その他は鈴木光太郎『動物は世界をどう見るか』(新曜社)を参照しました。
また、人と動物の錯視の違いについては、東洋学園大学の中村哲之氏「“違う”視えから見える世界―比較錯視研究の意義―」から大きな示唆をいただきました。