昭和42年に出て、ぼくたちが読み聞かせてもらっていた昔話の本を、古い書棚から引っぱりだして子どもに読んで聞かせる。「かちかち山」だ。
そして、それがひどく残酷な物語であることに今さら気づく。いたずらタヌキはおばあさんをだまし、縄を解いてもらうとひと殴り。おばあさんに化けておじいさんの帰りを待つ。帰ってきたおじいさんに「タヌキ汁ができているよ」。食べ始めるおじいさんに「たぬきじるだと だまされて ばばじるを くう じじいよ ながしの したの ほね みろ」。そこには、おばあさんの骨。
さすがにためらいつつ読んだのだけど、テレビなどではちょっとしたけんかシーンさえ嫌う子どもも、なぜかすんなり、お気に入りの物語となった。
新しくはじまったウルトラマンシリーズでは怪獣を倒してばかりじゃないのだとか。そんなご時世に、かちかち山の物語がどうなっていくかと思わなくもないけど、この残酷さあってこそ、悪と善の境界がはっきりする。悪が際立ってこそ、うさぎがたぬきをこらしめるシーンがいきてくるし、なにより現実ときっかり線をひいた「ものがたり」世界を宣言することにもなる。
グリム童話なども初版はもっと残酷だったとしばらく前に話題になった。おおらかな残酷さは、物語と現実にはっきり線がひかれていた時代の遺物になるのだろうか。いまも残酷があふれる世ではあるけど、仮想現実下ではそれはただ残忍なだけ。
かちかち山を、古い書棚から新しい書棚に移した。
日本にスキューバダイビングが紹介されたのは1950年代(日経7月21日)。17日の読み方、「じゅうしちにち」から「じゅうななにち」へ(朝日7月11日)。
いつも興味深く拝読させていただいています。
細かいことですが、
説によると、昔は、物語の中だけに残酷さがあり、現実には残酷さはないとのことですが、本当にそうでしょうか。
昔の方が今より、現実もずっと残酷だったように思います。
たとえば、刑罰の重さとか。
現代社会批判の延長で、そのように言っているのだとしても、公正さにかけると思います。
>小橋昭彦様
その物語はオスカー・ワイルド作【幸福の王子】です。
http://www.hyuki.com/trans/prince.html
日本ではアニメーションにもなりました。
私は、講談社版世界少年少女文庫の「秘密の花園」と「椿説弓張月」がいまだに
鮮やかに記憶に残っています。
子供の時、ウルトラマンが大好きでした。
カッコよく、力強い、正義の味方。
ある時、月ロケットで迷い込んできたシーボーズと言う
怪獣がいました。
夜な夜な、悲しげな声で鳴くので迷惑です。
科学特捜隊&ウルトラマンは一生懸命、
宇宙に返そうとロケットに怪獣を括り付けます。
その時、特捜隊は言ってました。
「殺さなくていい怪獣は殺さないのだ」
私はその一言に大変な衝撃を受けました。
怪獣=悪=倒す相手、でしたから。
怪獣はその後、ロケットに括り付けられ、怪獣墓場に
帰っていきました。
一昨日の日曜日の午後、2歳になる息子と遊んでいたら、たまたま自宅の居間隅に「かちかち山」なるタイトルの絵本を発見。すぐ読み始めた。しかし読んでいる途中で、そのストーリーに「このまま読み続けていいものだろうか?」「無機質な、切れる子供の原因は…もしかすると」などなど不安や抵抗感があり、私自身勝手にストーリーを変えて読んでしまった。こんな気弱な父親でよいものであろうか。(^^;
童話は、確かに残酷な内容もあると思いますが、読み聞かせた後の子供との会話が大切だと思っています。
最近のテレビは、勧善懲悪ではなくなってきてますし。
ヒーローも多くの悩みを抱えながら、倒すべきは倒し、何かの問題を訴えているものは問題を解決する方向にかわってきていますよね。
千葉さん、すみません、コラムから昔は現実は残酷でないというニュアンスを汲み取られたのでしょうか、じつはその意図はなかったのです。
「おおらかな残酷さは、物語と現実にはっきり線がひかれていた時代の遺物になるのだろうか。」といったあたりでしょうか? これは物語だけに残酷があり現実にはないという意味ではなく、物語の残酷はあくまで物語の残酷として、それが現実に影響を及ぼすといった、現代さかんに言われているような心配はあまり論議されなかった、という意味です。
誤解を与えちゃいましたね。ごめんなさい。
早速のご返答ありがとうございました。
こちらこそ、重箱の隅をつつくようなことを申しまして、申し訳ありませんでした。
これからも、頑張ってください。
残酷な描写のある童話は「悪」の見本として機能していたのではないでしょうか?
子供に「こんな悪い事をすると、もっとひどい目に遭うのだよ」と言って聞かせるための物だったと思います。
「悪い事をすると、ひどい目に遭う」という恐怖感を深層心理に焼き付けて、悪事を働かないようにする心のブレーキを子供のうちから身に付けさせるために有効な手段だと思います。
ブレーキが効かなかったり、ブレーキの無い人達が新聞やTVニュースに「悪の見本」として沢山・・・
いつも楽しく読ませて頂いてます。
私も、2歳になる娘がいて、かちかち山の本を久しぶりに開いたとき、ちょっと衝撃を受けました。
でも、子供の頃には、そんなにインパクトがなかった。。
これは、結局のところ、それを読む年代の受け取る感受性の違いなのかな?とおもいました。
ところで、遼太郎君に再開じゃなくて、再会ですね。
15年ぶりのお久しぶりです。
カチカチ山の昔話は、確かに現実的ではないですが、それでも生々しいですよね。
ウルトラマンって、現代に即してはいますが、逆に、かなり現実と遊離していると思います。
でかいビルやクルマが破壊されるだけですからね。
昔の人は、残酷なことを考えますね。
素朴な分だけ、よけいに残酷です。
まあ、そんな重箱の隅をつつくような反論よりも、小橋さんの近況について聞けると嬉しいです。