小橋 昭彦 2001年6月11日

 田植のあいま、あぜ道を歩きつつ子どもとタンポポを摘む。花の後ろの外総ほう片と呼ばれる緑の部分が花に添って立っている。日本在来種らしい。
 タンポポには在来種のほか、明治以降に入ってきたセイヨウタンポポなどの外来種がある。外総ほう片が反り返っているのがセイヨウタンポポとされてきたが、このところその勢力が広まっている。
 貿易が盛んになるとともに、ある地域に野生していた種が他の地域の生態系のなかで広がるケースが増えている。外来生物、帰化生物などと呼ばれる動植物。ときにはその土地にもともといた種を滅ぼしてしまうこともある。そういう視点からは、インベーダー生物、侵入生物という呼び方のほうがしっくりくるかもしれない。
 国際自然保護連合がこのほど発表した、影響の大きい一〇〇の侵入生物のなかにも、アリの一種からグアバのような果物の一種まで、幅広い「インベーダー」がリストアップされている。
 ちなみにタンポポの場合、遺伝子分析をした結果、形からセイヨウタンポポと判断されたうちの大半がニホンとの雑種とわかったとか。たくみにニホンの遺伝子を取り込み、適応力を高めつつ広がったわけだ。どこか人間に化けて地球に侵入するSF映画のような。
 ペットの猫だって、本来の生態系に猫がいないところに連れていけばインベーダー動物になる。オーストラリアの固有種は、人間が持ち込んだウサギや猫によって危機に陥ったともいう。イエネコはたくみに人間にとりいることで古代エジプトから世界に広まった。これもまたどこかSFじみている。
 こうして気づいたときには、インベーダー生物がはびこり、生物の多様性が失われた世界にぼくたちは生きている。これじゃあSFというよりホラーじゃないか。息苦しいなあ。タンポポを摘む手をとめ、若葉の目立つ山々を眺める。

5 thoughts on “侵入生物

  1. 今日の没ネタ。宇宙の光源、銀河以外の未知のものが半分以上(日経5月2日)。

  2. 北海道の、とあるテーマパークのイベント演出をして
    いた時のことです。そこはラベンダー畑がひとつの集
    客のメインでしたが、ある春先のこと、たんぽぽの群
    生がいたるところに発見され、スタッフ全員でたんぽ
    ぽ獲りに明け暮れたことを思い出しました。
    地べたにはいつくばってたんぽぽを獲る、、その様は
    ちょっと滑稽でもあります。
    その時は自然はすごい!と思ったのでしたが、よく考
    えると、我々人間が自然にとってのインベーダーだっ
    たのかもしれません。

  3. 大川さんのコメントに一部重複するかもしれませんが、ちょっと気になったので、書かせて頂きます。
    コラムの中に「インベーダー生物がはびこり、生物の多様性が失われた世界にぼくたちは生きている。」 という件がありましたが、自分は少し違う見方をしていました。

    自分は、生命(生物)はそもそもinvadeするように設計されているのではないかと思うのです。

    地球に最初の「いのち」が生まれてから、ずぅーっと生き物は、自分の種の存続のために侵略を繰り返し、他からの侵略に耐え、そして他の種との折り合いをつけながら営みを続けてきたのではないでしょうか。

    国際自然保護連合のサイトにも「the worst 100 spieces」という記事が掲載されていましたが、人間は一体いつから地球上の他の同胞に対して「最悪」などというレッテルを貼れるほど偉くなったのでしょうか。 この最悪という言葉には、あくまでも(人間にとって)という条件が言外にあるのではないでしょうか。

    そしてこのような人間の目には侵略と写る営みこそが生命行為であり、その多様性を広げていく原動力になっているのだと自分には思えるのです。 その多様性が失われるとすれば、大川さんのご指摘の通り、人間が自らの思い上がりに気づかないまま、自分の都合で盲目的にinvadeを続け、自然淘汰を破壊した時にそれが訪れるのだと思います。

  4. 確かに。侵入生物問題の根本は、それが人間の営みの影響によって侵入させているということだとみています。自分で侵入させながら「最悪」とレッテルをはっているんだから世話ないというかなんというか。

    で、人間のそうした行為も自然の一環とするなら侵入生物も自然の一部だし、人間の行為は逸脱しているととらえるなら、侵入生物はその逸脱ゆえにもたらされたといえますね。

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