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ちょっと知的な雑学&トリビア

月とクマムシ

2008年11月27日 【コラム
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 夜の会議を終えての帰り道、足元の影に気づいて見上げると、ひんやり満月が浮かんでいた。あの月にクレーターを作ったのは天体の衝突だが、現在並みの頻度になったのは約38億年前。ひっきりなしの誕生時からゆるやかに減ったわけではなく、39億年前に一度、大変動と呼ばれる激しい衝突に見舞われた時期があったと考えられている。
 科学誌ネイチャーの特集記事によれば、その時期地球にも、数千年に1度、直径20キロメートルのクレーターを作る規模の天体が、さらに100万年に1度、直径1000キロメートルのクレーターを作るサイズの天体が衝突していたはずという。恐竜絶滅を招いたとされる隕石が作ったクレーターでさえ直径200キロだから、当時の激動はどれほどだったか。
 39億年前といえば地球に生命が誕生した頃。海水がすべて蒸発するほどの大変動はさぞかし厳しい環境だっただろうが、小惑星衝突こそ地球に有機物をもたらし、地表下の熱で生物を育んだ可能性があると聞くと、頭上に広がる静謐な星空からはうかがい知れない、天体のダイナミズムを感じざるをえない。
 この9月、宇宙空間でクマムシが生き延びたことが論文で報告され、話題になった。クマムシについては、一昨年あたりからちょっとしたブームだから、ご存知の人もあるだろう。苔などに棲息する1ミリ程度の小さな動物。体内の水分を減らして「乾眠」状態になれば、百度を超える高温や極低温、さらには放射線や高圧といった極度の環境に耐えられる。そんなクマムシが、真空状態かつ宇宙線の中に10日間さらされても生き延びた。
 大変動の記録をクレーターにとどめる天上の月。それを見上げるぼくの影の中にも、クマムシは這っているだろう。この光と影の間に、生命の力強さがある。二つをつなぐように今、ここに立っていることが、なんとも得がたいことに思え、胸がしんとした。

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3 comments to...
“月とクマムシ”
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小橋昭彦

ネイチャーの月に関する特集記事は「The hole at the bottom of the Moon(Nature 453, 1160-1163,25 June 2008)」です。クマムシが宇宙空間で生き延びたという実験を報告する論文は「Tardigrades survive exposure to space in low Earth orbit(Current Biology, Volume 18, Issue 17, R729-R731, 9 September 2008)」。日本語記事では「『地球最強の生物』クマムシ、宇宙でも生存可能」がていねい。クマムシの写真もきれいなものがあるので、ぜひご一読を。
クマムシについて、詳しくは「クマムシゲノムプロジェクト」や「クマムシ」で紹介されている書籍『クマムシ?!―小さな怪物』でどうぞ。


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しゃあ

小惑星衝突など回避不可能な事を、科学的な事実として突きつけられるのってイヤだなぁ。


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小橋昭彦

とすると、いざ小惑星衝突がわかっても、国家機密にしておいてくれた方がいいってことでしょうか?
仮にそれがわかったとして、最後の時間を人類がどう過ごすか。好きなことするのか、静かに待つのか。SFのテーマとしてときに見かけますが、さて、どうなのでしょうね。
……と書きつつ、よく考えたら右肩あがりでずっと伸びていくと信じる思想は近代のものであって、昔の人はまた違った世界観を持っていたはずであったことに気づきました。(とはいえ、いくら終末思想でも、たとえば1週間後には終わりだよというのとはやはり違うとは思いますが)




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 もう一年近く前に出会って、いつかコラムにしたいと思いつつ、書けないできたネタを読み返している。ひとつは心理学の、ひとつは神経科学の研究からの報告。
 コロンビア大学ミズーリ校のローラ・キング博士らによる報告は、副題に「後悔と、幸福と、成熟と」とある。そう、人はいつも、あり得たかもしれないもうひとりの自分のことを考え、苦い思いにとらわれる。それはときに辛い思い出だけれど、そんな思いこそ、人を成長させるという。彼女らの調査によれば、「こうしなければよかった」と考えられる人ほど、人間的に成長している傾向があるのだという。
 この記事のことを考えている最中に目にしたのが、完ぺきと思える成鳥の鳴き声の中にも小さな震えがあるという、カリフォルニア大学のマイケル・ブレイナード博士による報告だった。この震えは、神経系がよりよい歌を求めて調整しているために出るらしい。考えてみればこれはごく自然なことで、仮に完成した鳴き声の状態で神経系まで固定されてしまうと、環境の変化や周囲の状況に応じて、歌を向上させる道が閉ざされてしまう。よい歌を求めるなら、パーフェクトに固定された状態なんてありえない。そのときどきで変化してこその、美声だ。
 理想の自分なんてありえないし、到達したと思えばまた新しく求めるのが、生命の真理。それには失敗はつきものだし、誤りから逃げてはいけない。このコラムの連載を始めて十年、ぼくは何をつかみ、何を失ってきたのか。十年前は毎日更新していたのが、最近は数ヶ月に一度になっている。それは成熟ゆえではなく、むしろ逃げているのではないか。そんなことを考えて、一年が過ぎた。
 先に紹介したキング博士はこう言っているそうだ。「幸福は、過去を忘れることにではなく、あなたの過去の上に、人生を築くところに生まれるものだ」と。

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 鳥の鳴き声が、周囲の環境によって違ってくるとは発見だった。ライデン大学のスラベッコーン博士が発表した論文によると、シジュウカラは、交通騒音のある都市部では、近隣の森に棲む同じ種と比べて、短く速く高い音程で鳴いていたという。似たような報告をベルリンのブラム博士もしていて、都市騒音の激しいところでは、小鳥たちが通常より大きい声で鳴いたり、何度も繰り返し鳴いたりするという。
 鳥にとって鳴き声は、なわばりを主張するとともに異性をひきつける大切な手段だ。自分の声が周囲の音にまぎれては、生き残れない。深い森の中では低くゆったりとした音が、騒々しい中では速く繰り返す音がよく通る。だから森のミミズクはホーッと鳴き、ヒバリはピーチクパーチク鳴くのだ。
 そう考えてゆけば、ただ環境に合わせるだけではなく、他の種類の鳥とかぶらないように鳴くことも必要だ。スズメやウグイス、トンビやカケス。高く、低く、長く、短く。鳥たちは、なんてうまい具合に鳴き分けていることだろう。それぞれの楽器が技術を磨き、特徴を究め、何千年、何万年かけてつちかってきたシンフォニーが、空間に満ちている。
 そこに今、想定外の楽器が割って入ってきている。道路や工場などなどから発せられる人工音がそれだ。歌を環境に適応させられる鳥はいい。しかし、柔軟さに欠ける演奏家は、これらの楽器に自らの歌をかき消され、退場するほかない。この百年で、自然のシンフォニーの多くは変質した。
 この小文を読み終えたら、しばし目を閉じ、耳を澄ませてほしい。聴こえる音風景から、人工の楽器をひとつ、ひとつはずしていく。舞台には、何人の演奏家が残るだろう。機械音も自動車音も、航空機の音さえない、自然のフルオーケストラが1日中響いている場所が、この日本に、いや、この地上にどれだけ残っているだろう。

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