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今日また、ひとつ。

2001年4月27日 【コラム
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 誕生日を迎えた息子に、「きょうから3歳だね、おめでとう」と声をかける。息子もまねして「おめでとぉ」「おめでとう」「おめでとう」。家族で声を合わせている。とはいえ法律上は、彼は誕生日の前日をもってすでに3歳になっているのだった。
 年齢の数え方は、昭和25(1950)年に施行された「年齢のとなえ方に関する法律」で、明治35(1902)年の「年齢計算に関する法律」の規定に従うとされている。そこで「年齢計算ニ関スル法律」を参照すれば、年齢は出生の日を起算日とし、民法第百四十三条を準用して計算せよと。
 民法百四十三条ニ項。「起算日ニ応当スル日ノ前日ヲ以テ満了ス」つまり、年齢なら翌年の誕生日の前日で満了し、ひとつ加算されることになる。応当する日が無いときはその月の末日ともある。うるう年の2月29日生まれでも、毎年年齢が加算されるわけだ。
 昭和25年の「年齢のとなえ方に関する法律」の主旨は、数え年じゃなく満年齢で表しましょうね、だったのだけれど、日数の数え方に、0からではなく1からはじめる数えの方法を残してしまった。西暦2000年は21世紀か、なんて論争がまだ記憶に新しいけれど、こんなところにも「数え」と「満」の矛盾がある。
 そんなわけで、今年の小学校新入生のうちもっとも誕生日が早いのは、4月1日で満6歳になった、4月2日が誕生日の子どもたち。
 実感としてわかりにくいかもしれない。たとえばこう考えてみる。誕生日は子どもにとって、ひとつ年をとった新しい一年の始まりだ。ということは、誕生日の直前に、子どもはひとつ年を加算し、新しい一年を迎える。誕生日の直前、つまりは誕生日前日の、魔法の瞬間。
 生後しばらく、今日は生まれてから何日めだなあ、と毎日考えていたことを思い出す。子どもは日々確かに成長していて、いちにち一日の積み重ねが、目の前で実感できたものだった。
 いや、それは幼いうちに限らず、今もまたそうなのだろう。ぼくたち自身も、ただ誕生日に年齢を加えるわけじゃなく、毎日一日ずつ、確実に出生からの日を重ねている。昨日と違う今日、今日と違う明日。
 ぼくたちは、そんな日々の魔法にふさわしいだけの今日を送っているだろうか。

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5 comments to...
“今日また、ひとつ。”
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小橋

年齢のとなえ方に関する法律」「年齢計算ニ関スル法律」「民法第百四十三条」をご参考に。このあたりの解説、「教育と法」がていねいです。


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小橋

今日の没ネタ。北極の氷、西風も要因で減少か(日経4月2日)。春がすみを観測する国際プロジェクト(朝日4月2日)。マトリックス風中継映像、スーパーボウルで(朝日3月30日)。


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後藤

今年の小学校新入生で一番誕生日が早いのは3/31の午後12時(物理的には4/1の午前0時と同じ瞬間)に満6歳になる4/1が誕生日(早生まれ)の子供たちでは。

新入生で一番の年長は4/2が誕生日の子供たちですね。


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小橋

あ、誕生日が早い、というのは、近い、という意味に読めちゃうんですね。ごめんなさい、もしそういう意味なら、後藤さんのおっしゃるとおりです。
今日と昨日ではどちらが早いか、と聞かれると昨日、と答えてしまう感覚で「早い」と書きましたが、うむ、早生まれという言葉からしても、後藤さんの解釈が正しい気もします。なぜ「早生まれ」というんだろう。それも含め調べておきます。


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匿名



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 すこし遅れて出かけた三井寺の桜は、前夜の激しい風雨で、桜吹雪を見せることもなく、はや散り敷いているのだった。地面に白く積もる花に、雪みたい、と3歳の息子が小さな声をあげる。 境内にはすっかり人気も無い。つい昨日までここは人であふれていた、と帰りにひろったタクシーの運転手さん。花は人を吸い寄せる。 花見のルーツは平安時代という。『日本後紀』に、嵯峨天皇が神泉苑で桜を眺めたのが「花の宴」のはじまりとある。 初期は貴族や武家などの限られた階級の行事だった花見。それがにぎやかな宴会になっていったのは、豊臣秀吉が吉野山や醍醐で開いた花見以来だとか。歌舞などの芸事もまじえ、華美をつくしたと伝わる。 庶民に広がったのは江戸時代で、中期にはひとびとが三味線や鼓を奏で、小唄をうたい酒を酌み交わす光景がみられたというから、現在の花見の風景は、当時から変わらぬものだったようだ。 観月舞台そばで琵琶湖を眺めるうち、日が落ちて境内に灯が入った。この季節に行われているライトアップ。花は散ったものの、現代的な光に浮かび上がる参道が、幽玄という言葉を思い出させる。闇に浮かぶ葉桜に、一瞬、満開の桜を幻想。 桜よ、また来年。

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 進化論を提唱したチャールズ・ダーウィンは、鼻のおかげでガラパゴス諸島にいけなかったかもしれないという。ビーグル号の船長が顔の特徴で性格がわかるという説の信奉者で、ダーウィンのような鼻を持つ人間は航海に耐えられないと考えていたというのだ。 顔の美しいひとは得だ、とはときに言われること。詩女神ともたたえられた古代ギリシアの詩人サッフォーは、醜い女とする言い伝えもあるものの、もっぱら美の女神と比する美人という説が主流。よいものは美しい、美しいものからよいものが生まれるという俗信があったからこそだろう。彼女自身、「美しきものは善」という言葉を残している。 美人と鼻といえばクレオパトラ。ただ、のこされた像などから想像する限り、その鼻はわし鼻で、さらには背も低く太っていたのだとか。プルタルコスの「アントニウス伝」にも、その美は比類のないものというほどではない、という記述がある。 クレオパトラの魅力は、多国語あやつったというその会話術や知恵、情熱からかもし出されるものだったらしい。パスカルには申し訳ないけど、たとえクレオパトラの鼻が低くても歴史はそうあったようにあったろう。そしてもちろん、ダーウィンの着想は彼の鼻の形とは関係ないし、サッフォーの詩の美しさと美貌もまた、かかわりなかったろう。 アントニウスの自殺後、その骨壷を抱き、「あなたなしで生きていたこの短い間ほどひどくおそろしい不幸はなかった」と嘆いたクレオパトラ。美しいのは鼻ではなく、その深い愛情。

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