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花見

2001年4月26日 【コラム
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 すこし遅れて出かけた三井寺の桜は、前夜の激しい風雨で、桜吹雪を見せることもなく、はや散り敷いているのだった。地面に白く積もる花に、雪みたい、と3歳の息子が小さな声をあげる。
 境内にはすっかり人気も無い。つい昨日までここは人であふれていた、と帰りにひろったタクシーの運転手さん。花は人を吸い寄せる。
 花見のルーツは平安時代という。『日本後紀』に、嵯峨天皇が神泉苑で桜を眺めたのが「花の宴」のはじまりとある。
 初期は貴族や武家などの限られた階級の行事だった花見。それがにぎやかな宴会になっていったのは、豊臣秀吉が吉野山や醍醐で開いた花見以来だとか。歌舞などの芸事もまじえ、華美をつくしたと伝わる。
 庶民に広がったのは江戸時代で、中期にはひとびとが三味線や鼓を奏で、小唄をうたい酒を酌み交わす光景がみられたというから、現在の花見の風景は、当時から変わらぬものだったようだ。
 観月舞台そばで琵琶湖を眺めるうち、日が落ちて境内に灯が入った。この季節に行われているライトアップ。花は散ったものの、現代的な光に浮かび上がる参道が、幽玄という言葉を思い出させる。闇に浮かぶ葉桜に、一瞬、満開の桜を幻想。
 桜よ、また来年。

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3 comments to...
“花見”
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小橋

三井寺のライトアップは、残念ながら17日で終わってしまいました。まさにまた来年、です。


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小橋

今日の没ネタ。ローマ法王ギリシア訪問で1054年の東西分裂以来の対立和解へ(朝日3月28日)。泥で作っただんごが光る(朝日3月30日)。ゆとり学習で学力低下(朝日3月28日)。映画看板への道(日経3月28日)。


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わか

滋賀の話題で嬉しい☆私は大学内でお花見しましたよ。




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 つづら折を九十九折と書くように、九十九は多いという意味によく使われる。もっとも千葉県の九十九里浜は約60キロと確かに長いものの、36町ではなく6町を1里とする古くからの測り方によれば、1里を654メートルとして確かに九十九里に近くなる。石川県の九十九湾も入江が99あるというけれど、さてこちらはどうなのだろう。 一方、長崎の九十九島(くじゅうくしま)の場合は、島の数ははるかに多い。実際には208だと発表したのが、佐世保市の市民らによる九十九島の数調査研究会。今まで調べられなかったのかと思う向きもあるかもしれないが、島を数えるのは、じつは難しい。そもそも、「島」とは何なのか。 海上保安庁では、満潮時に水面上に周囲100メートル以上あること、などと定義し、日本には6852の島があるとしている。しかし、いざあなたが目の前の「島」を数える場合、干潮時にはひとつの島なのに満潮時に分断されて「島」でなくなった場合どうするか、など悩むことだろう。 九十九島の場合は、自然に形成された陸地で満潮時に水に囲まれ水面上にあること、植物の生育が認められること、という条件で測定。植生を加えたのがミソで、その結果、地元で千畳敷と呼ばれている大きな岩場が認定から外れたり、逆に潅木一本の小さな岩を島と認定したりもした。生命が根付く安定性、安全性があってこそ「島」だと定義したわけだ。 振り返れば、ぼくたちの銀河系もまた、島宇宙と呼ばれている。こちらの数は、この宇宙に千億以上といわれているけれど、そのうちどれだけに生命が宿っていることだろう。ともあれ、この「島」宇宙の片隅の、青い星の小さな生命をいつくしむ。

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 誕生日を迎えた息子に、「きょうから3歳だね、おめでとう」と声をかける。息子もまねして「おめでとぉ」「おめでとう」「おめでとう」。家族で声を合わせている。とはいえ法律上は、彼は誕生日の前日をもってすでに3歳になっているのだった。 年齢の数え方は、昭和25(1950)年に施行された「年齢のとなえ方に関する法律」で、明治35(1902)年の「年齢計算に関する法律」の規定に従うとされている。そこで「年齢計算ニ関スル法律」を参照すれば、年齢は出生の日を起算日とし、民法第百四十三条を準用して計算せよと。 民法百四十三条ニ項。「起算日ニ応当スル日ノ前日ヲ以テ満了ス」つまり、年齢なら翌年の誕生日の前日で満了し、ひとつ加算されることになる。応当する日が無いときはその月の末日ともある。うるう年の2月29日生まれでも、毎年年齢が加算されるわけだ。 昭和25年の「年齢のとなえ方に関する法律」の主旨は、数え年じゃなく満年齢で表しましょうね、だったのだけれど、日数の数え方に、0からではなく1からはじめる数えの方法を残してしまった。西暦2000年は21世紀か、なんて論争がまだ記憶に新しいけれど、こんなところにも「数え」と「満」の矛盾がある。 そんなわけで、今年の小学校新入生のうちもっとも誕生日が早いのは、4月1日で満6歳になった、4月2日が誕生日の子どもたち。 実感としてわかりにくいかもしれない。たとえばこう考えてみる。誕生日は子どもにとって、ひとつ年をとった新しい一年の始まりだ。ということは、誕生日の直前に、子どもはひとつ年を加算し、新しい一年を迎える。誕生日の直前、つまりは誕生日前日の、魔法の瞬間。 生後しばらく、今日は生まれてから何日めだなあ、と毎日考えていたことを思い出す。子どもは日々確かに成長していて、いちにち一日の積み重ねが、目の前で実感できたものだった。 いや、それは幼いうちに限らず、今もまたそうなのだろう。ぼくたち自身も、ただ誕生日に年齢を加えるわけじゃなく、毎日一日ずつ、確実に出生からの日を重ねている。昨日と違う今日、今日と違う明日。 ぼくたちは、そんな日々の魔法にふさわしいだけの今日を送っているだろうか。

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