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過ぎ去った日のこと

2001年4月24日 【コラム
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 過ぎ去った日は二度と手には入らない。だから人は想像したり検証したりしてその日のことを思い巡らす。
 イエス・キリストの顔を「科学的」に再現したのはマンチェスター大学のリチャード・ニーブ氏。エルサレムで発掘された1世紀のユダヤ人の墳墓から被埋葬者グループの中でもっとも代表的な頭骨を選んで復元したというから、個人の復元にはならないけれど、想像の助けにはなりそうだ。縮れた頭髪やひげはイラク北部の1世紀から3世紀のフレスコ画に描かれた顔を参考にしている。もっとも特徴的なのは顔色で、当時の天候から割り出したそれは色黒。
 過去のことといえば、200年前から米国で論争が続いているのが、第3代大統領トマス・ジェファーソンが黒人女性奴隷サリー・ヘミングスに子どもを生ませていたという風説。1998年にDNA鑑定が行われ、その子孫と彼の嫡流のそれが一致したとあって、まずは事実と認められたかに思えた。ところが、つい最近も専門家グループが600ページ近い報告書を発表して、当時の記録からして父親は屋敷を訪れていた弟のランドルフの確率が高いとした。この問題、ただ単に歴史的事実に関する論争としての枠を超えて、人種問題にもかかわっている。報告書の分厚さが、その複雑さを表しているような気がしないでもない。
 ときには顔のつくり。ときにはしとねの相手。追求されるほうもたいへん。まあ、のこしたものの大きさと比べればささいなこと、せいぜいお楽しみを、と笑っている気もするけれど。

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One comment to...
“過ぎ去った日のこと”
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小橋

ジェファーソンとヘミングスの間の子どもについては、「Monticello」や「THE MONTICELLO ASSOCIATION」などでも詳しく触れられているほか、ほんと、いろいろな情報が公開されています。一方、イエス・キリストの顔の検証については、「BBC番組」に写真が出ています。復元したRichard Neave教授については「マンチェスター大学ニュース」をご参考に。




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 サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」をよく聴いていた時期があった。小さな、だけど本人にとっては大きな悩みを抱いていた中学生時代。当時、ぼくはどこに向けて橋をかけたかったのだろう。そして今、ぼくは向こう岸にたどり着いているのだろうか。 橋は、人間にとって有史以前からのつきあいだ。倒木を利用していたのが桁橋になり、木のつるを利用していたのがつり橋になり。自然発生的な橋が起源となって人工の橋が生まれたものと想像されている。 古代メソポタミアには石のアーチ橋があったとされるし、古代中国にはつり橋があったと伝わっている。橋の歴史がひとつの頂点に達したのは、おそらくはローマ帝国時代。石造アーチの水道橋の美しさ、頑強さ。そういえばローマ教皇は正式名でPontifex maximusというけれど、Pontifexとは橋をかける人の意。古代ローマにおいて、いかに橋が重要な位置を占めていたかがしのばれる。 桁橋やつり橋だけではなく、浮橋やアーチ橋など、橋にはさまざまな構造があり、それぞれが美しい。本州と四国をつなぐ連絡橋は、斜張橋、つり橋、アーチ橋、桁橋、トラス橋など場所に応じて各種のタイプが見られることでも有名だ。 この場所から、流れの向こうのあの場所へ。生きている中で、人はいつも、小さな橋をかけつづけているのではあるのだろう。

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 つづら折を九十九折と書くように、九十九は多いという意味によく使われる。もっとも千葉県の九十九里浜は約60キロと確かに長いものの、36町ではなく6町を1里とする古くからの測り方によれば、1里を654メートルとして確かに九十九里に近くなる。石川県の九十九湾も入江が99あるというけれど、さてこちらはどうなのだろう。 一方、長崎の九十九島(くじゅうくしま)の場合は、島の数ははるかに多い。実際には208だと発表したのが、佐世保市の市民らによる九十九島の数調査研究会。今まで調べられなかったのかと思う向きもあるかもしれないが、島を数えるのは、じつは難しい。そもそも、「島」とは何なのか。 海上保安庁では、満潮時に水面上に周囲100メートル以上あること、などと定義し、日本には6852の島があるとしている。しかし、いざあなたが目の前の「島」を数える場合、干潮時にはひとつの島なのに満潮時に分断されて「島」でなくなった場合どうするか、など悩むことだろう。 九十九島の場合は、自然に形成された陸地で満潮時に水に囲まれ水面上にあること、植物の生育が認められること、という条件で測定。植生を加えたのがミソで、その結果、地元で千畳敷と呼ばれている大きな岩場が認定から外れたり、逆に潅木一本の小さな岩を島と認定したりもした。生命が根付く安定性、安全性があってこそ「島」だと定義したわけだ。 振り返れば、ぼくたちの銀河系もまた、島宇宙と呼ばれている。こちらの数は、この宇宙に千億以上といわれているけれど、そのうちどれだけに生命が宿っていることだろう。ともあれ、この「島」宇宙の片隅の、青い星の小さな生命をいつくしむ。

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