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ニセモノって

2001年4月18日 【コラム
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 税関で差し止められる偽ブランド商品は毎年100万点前後。よこしまな商人はあとをたたない。そんなこともあって、「偽」にはよいイメージが無い。
 仏教に偽経、というジャンルが知られている。中国へ仏教が伝来してさほどない時期に作成された経典。インド仏教の原典からの翻訳ではなく、中国製だ。そういう意味で「ニセモノ」とされている。
 ただ、偽経が庶民に何ももたらさなかったかというと、そんなことはない。たとえば「三途の川」。この考え方を広めた「地蔵十王経」は偽経だ。あるいは「お盆」。サンスクリット語で「さかさまにつるされた苦しみ」を意味する「ウランバナ」が語源で、その苦しみから救うために先祖供養する、というところからきているとされている。その典拠となった「盂蘭盆経(うらぼんきょう)」も偽経だとか。仏教が庶民に浸透していくのに、偽経の役割はむしろ大きかった様子。
 見方を変えれば、『般若心経』など大乗仏教の経典にしたところで、ブッダの滅後数百年、新しい解釈のもとで書かれたもの。それだって「ニセモノ」といえなくはない。いや、それを言い始めたら、ブッダ自身の手にならないすべての経典もまた。
 車が好きなうちの息子。いつもおもちゃを片手に、ブロックで作った道の上をぶーんと走らせている。小さな、ときには壊れてもいるおもちゃだけれど、その瞬間、彼は確かにホンモノの喜びとときめきを感じている。
 ニセモノってなんだろう?

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3 comments to...
“ニセモノって”
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小橋

お盆については「仏教用語の豆知識」などをどうぞ。偽ブランド商品の現状については、「偽ブランド商品等の輸入差止状況」を。


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小橋

今日の没ネタ。ベルギー北部の町、第一次大戦の遺物、地下トンネルの影響で住宅倒壊の危機(朝日3月21日)。アフガニスタン・カブールの物乞いの少女「夢は」に答えなし(朝日3月22日)。香港高層ビルでお祓い(朝日3月24日)。


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松澤仁璽

ニセモノって。おもしろいテーマですね。ぼくは、コ
ピーというものの捉え方だと思います。コーピーを、
どうとらえるか。それはブランドもののコピーも、書
籍のコピーも、コピーとして使う場合と、コピーでな
く、オリジナルに見せて使う場合で、まったく違うこ
とになると思います。往々にして、コピーをオリジナ
ルに見せるときに、悪いことが起こります。また、コ
ピーをコピーとして使うときは、よい結果が出る方が
多いのではないでしょうか。学生時代のノートのコ
ピーですら。




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 現在、地球上には約14億立方キロメートルの水が存在している。サイコロ状にするなら一辺は1120キロメートル。青森から下関までの直線距離にほぼ等しい。こう表現するとそんなものか、と思われるかもしれないが、では高度1120キロというとどんなものかというと、スペースシャトルでさえ高度はせいぜい400キロ、つまりは間違いなく宇宙空間だ。 そのはるか高みから、地球に水がもたらされているかもしれない、という説をとなえたのが、米アイオワ大学のフランク博士らだった。いわく、地球には毎分5ないし30個もの小彗星がぶつかっている、雪玉状のそれが地表上1000キロメートルの高みで分解したあと、水を地球にもたらしていると。 大きな彗星は地球上の水と成分が違うとされているが、小彗星の成分は確認されておらず、その存在も含めて、真偽はまだ確かめられていない。博士らは、2001年春に小彗星を別の望遠鏡で再確認したと発表した。 ちなみに、全水量のうち淡水はわずか3600万立方キロメートル。極地の氷床など短時間で循環しない淡水を除けば約1100万立方キロメートル。こちらのサイコロの一辺は東京から名古屋までも届かない。 宇宙からかどうか由来はともかく、今日も地球の水は循環している。ときには氷河になり何万年とかかりつつ、しかし長い目で見るとまた天に帰り、地上に降り注ぎ、また天に帰り。そしてほんの一瞬、ぼくたちの中を通り過ぎたりもするのだ。

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 いま、地震がおこったと想像してみてほしい。3秒後、なにが起こるだろうか。何か落ちてくるとか、倒れるとか。では10秒後はどうだろう。30秒後は、1分後は、30分後は。 こうして、災害後のシミュレーションを、時間を追ってしてみてほしい。スタートとなる時間にも、就寝中や出勤中、食事中などバリエーションをつけて。 さて、ここで質問。いまあなたがたてたシナリオに、自分自身が腕や足をいため、弱者の立場になることは含まれていただろうか、さらには死亡する可能性は。 たいていの場合、こういうシナリオを考えるとき、ひとは「自分だけは大丈夫」と考える。社会心理学でいう、「正常化の偏見」だ。災害対策を考えるとき、シミュレーションの段階でこの正常化の偏見をのぞくことが、危機対応力の向上に欠かせない。 とはいえ、たとえおおきな災害があったのちでも、長期的に見れば対策を立てる人の割合はあまり変わらない。人間って、そういうものらしい。ポジティブというのか、能天気というのか知らないけれど。 団地の直下の家からの類焼で焼け出されたのが1月のこと。目の前にある携帯電話や財布さえ持ち出せず、自分があまり多くできると考えず、せいぜい「いち、に、さん」くらいで練習しなくちゃ、と痛感した。それなのにはや、非常時の備えは、日常の中で忘れつつある。 いっしょに逃げ出した隣の女の子も、「ケータイ持ってきたらよかった」と炎と煙をあげる団地を見上げながらつぶやいていた。そう、すぐ身近なものさえ持ち出せない。自分だけは、のもろさ。彼女の声がいまも耳に残る。

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