小橋 昭彦 2001年4月19日

 いま、地震がおこったと想像してみてほしい。3秒後、なにが起こるだろうか。何か落ちてくるとか、倒れるとか。では10秒後はどうだろう。30秒後は、1分後は、30分後は。
 こうして、災害後のシミュレーションを、時間を追ってしてみてほしい。スタートとなる時間にも、就寝中や出勤中、食事中などバリエーションをつけて。
 さて、ここで質問。いまあなたがたてたシナリオに、自分自身が腕や足をいため、弱者の立場になることは含まれていただろうか、さらには死亡する可能性は。
 たいていの場合、こういうシナリオを考えるとき、ひとは「自分だけは大丈夫」と考える。社会心理学でいう、「正常化の偏見」だ。災害対策を考えるとき、シミュレーションの段階でこの正常化の偏見をのぞくことが、危機対応力の向上に欠かせない。
 とはいえ、たとえおおきな災害があったのちでも、長期的に見れば対策を立てる人の割合はあまり変わらない。人間って、そういうものらしい。ポジティブというのか、能天気というのか知らないけれど。
 団地の直下の家からの類焼で焼け出されたのが1月のこと。目の前にある携帯電話や財布さえ持ち出せず、自分があまり多くできると考えず、せいぜい「いち、に、さん」くらいで練習しなくちゃ、と痛感した。それなのにはや、非常時の備えは、日常の中で忘れつつある。
 いっしょに逃げ出した隣の女の子も、「ケータイ持ってきたらよかった」と炎と煙をあげる団地を見上げながらつぶやいていた。そう、すぐ身近なものさえ持ち出せない。自分だけは、のもろさ。彼女の声がいまも耳に残る。

1 thought on “正常化の偏見

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