ざつがく・どっと・こむ
ちょっと知的な雑学&トリビア

ボールペン

2000年12月29日 【コラム
Share...Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedIn

 文具の通販市場が伸びている。注文したその日、あるいは翌日には届くというインターネット通販が貢献している。文具市場は、事業所向け1兆3200億円、個人向け4800億円規模とされるが、その1割くらいが通販。
 筆記具の中で販売数量が多いのはボールペン。年間18億本ほどが販売されており、輸出向けも多い。日本でボールペンが使われるようになったのは、第二次大戦後、進駐軍の兵士が持ち込んでからだが、あっというまに筆記具の主役となった。
 もっとも、ボールペンが普及するには曲折もあった。昭和22年ごろから出回り始めてブームとなったボールペンは、インクが流れる、ボールが抜け落ちるなどのクレームが続出し、昭和24年には下火に。再び脚光を浴びるのは2年後、改良された商品が完成してからのこと。
 ボールペンのインク、現在ではゲルタイプが人気。水性と油性の中間のようなもので、寒天のような状態に近づけてある。ゲルもそうだが、ボールペンの普及にインクの発展は欠かせない。ボールペンを発明したのは米国のジョン・ラウドで1884年のこととされているが(朝日11月24日)、実際の登場は1943年、ビロによる機構の発明とそれにふさわしいインクの開発を待たなくてはいけなかった。
 ところでボールペン、なぜか最初から最後までずっと日常的に書いて使い切ったという経験が少ないんだけど、なぜなんだろう。なくしたり書けなくなったり。あの先端、高度な技術が使われているだけに、考えてみればもったいない。

Share...Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedIn

One comment to...
“ボールペン”
Avatar
小橋昭彦

ボールペンについては「ステイショナー」「文具ミニミニ歴史館」「一筆啓上」「文具・事務用品マーケティング総覧」などに触れられています。




required



required - won't be displayed


Your Comment:

 大阪府が管理している幹線道路に関連する事故が増加しているという(日経11月21日)。アスファルトの剥離や側溝の鉄蓋脱落などが原因で車両損傷や歩行者のけがなどが起こっているもの。1990年代半ばまで年間20件あまりだったのが倍近くになったとか。 ちなみに、現在日本国内の道路延長は約115万キロ。うち都道府県道は12万キロあまりとなっており、1万7000キロメートルを管理する大阪府の道路延長は全国有数。事故の増加は財政難による道路維持修繕費の削減と軌を一にしている。従来は一箇所剥離したら前後数十メートルを全面改装していたのが、予算不足からパッチワーク的になってしまうという。 戦後、日本の道路は急ピッチで整備されてきた。利用状況を示す数字を走行台キロといい、500台が1キロを走れば500台キロというけれど、この数字も年々増加、1997年には年間20億台キロを超えている。 ちなみに、同年における平日昼間12時間交通量のトップは、一般道路では新潟市の国道8号、そして7号が続く。休日と平日では様子が違い、休日になると交通量が増える路線として知られているのは、約8倍という和歌山県の那智勝浦古座川線や栃木県の藤原塩原線、5倍という長野県の諏訪白樺湖小諸線などなど。 モータリゼーションの進展、道路ストックの老朽化とともに、補修すべき道路は日々増加する。新線建設ばかりを公約にする時代でもないのだが。

前の記事

 ちかくの生協で揚げているコロッケがおいしいのである。具がいいのか油がいいのか腕がいいのか。揚げたてのほかほかを入手し買い物袋の片隅にひそませて持ち帰る。二歳半の息子の大好物でもある。 男爵いもやかにクリームやかぼちゃなどなど、コロッケの具の多様さを見るにつけ、日本人の創意工夫を感じないわけにはいかない。そもそもフランスでクロケットと言われる料理は、ジャガイモはほとんど用いない。衣こそ小麦粉、卵黄、パン粉の順と日本と変わらないけれど、中身は別なもの。かけるソースもトマトベース。日本ではウスターソースが多いが、米飯に合うようにという工夫のひとつだろう。 一説によると、イモコロッケは関西の精肉店が売り出したともいう(日経11月25日)。くず肉の処理に困り、蒸したジャガイモと合わせたというアイデア料理。コロッケは明治中期に日本に伝わり、明治30年代以降、町の洋食屋で出されるようになるとともに、徐々に庶民に浸透していった。 日本でジャガイモが食べられるようになったのもコロッケがあったからこそ。明治30年代半ばには25万トンだったジャガイモの消費量が、大正8(1919)年には180万トンに。そのころ帝国劇場で上演された喜劇で唄われた「コロッケの唄」も大ヒット、ハイカラな家庭料理としてのコロッケの位置が確立した。唄の歌詞いわく、今日もコロッケ、明日もコロッケ。ま、それも悪くない。

次の記事