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ちょっと知的な雑学&トリビア

言葉を覚える

2001年3月02日 【コラム
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 あと1カ月少しすれば3歳という時期になって、息子の語彙もずいぶん増えた。過去を思い出して語ったりするように、ものごとの順序を理解して説明できるようになった。思い返せば、単語のやりとりじゃなく会話ができるな、と思うようになったのは1年ほど前のこと。大人の言っていることを理解しているな、と感じたのが1歳を過ぎたころで、その頃からじょじょに単語も口にするようになる。ちゃちゅちょ語ではあるけれど。
 日本女子大学の須賀哲夫教授は、コンピュータに言葉を覚えさせることで、赤ちゃんが言葉を覚える過程を研究している。研究者が親となって、「このほんはあおいです」などの会話をキーボードを通じてする。コンピュータ上の赤ちゃんを「エムラス」という。
 エムラスは最初、言葉を知らない。そこで、「このほんはあおいです」「あのほんはあおいです」といった複数の文章をくらべて、「この」と「あの」が違うだけだ、そして「この」のときは本との距離が近い、などと判断して言葉の使い方を学んでいく。
 現状では「うれしい」「美しい」「悪い」といった表現や、身体がないから「空腹」という表現なども使えない。それでも、エムラスは研究者の質問に対して答えるなど会話ができるようにまで成長、知能テストでは4、5歳程度の能力だとか(朝日2月3日)。
 赤ちゃんの言語獲得のかなりの部分はこうした単純な方法で説明できるのではないか、と須賀教授は言う。ううむ、そうなのか。なんとなく複雑な気持ちになりつつ、「おとーしゃん」という子を、ぎゅっと抱きしめてみる。ほっぺがあたたかい。

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4 comments to...
“言葉を覚える”
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小橋

須賀教授の研究については、NHKで番組にもなっていたようです。「にっぽん名物研究室」および、レポーターさんの「取材日記」を参考に。日本心理学会での「発表」もあったようです。その他、関連しそうなのは「人工生命・人工知能」「人工知能学会」などかな。


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小橋

今日の没ネタ。初詣は20世紀に広まった(朝日2月2日)。植物成長のカギとなる物質の立体構造解明(朝日2月3日)。出産祝い金をやめてから出生率が下がったカナダのケベック州(朝日2月3日)。南極のペンギン、上空のヘリで倒れることはないと確認(日経2月3日)。


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Ree Fou

遼太郎くんの疑問について考えてみました。子供に「今日」をどうおぼえてもらうか。難しいですよね。「おはようからおやすみまでの間は、ずーーーーっと今日」というのじゃダメなのかしら。


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小橋

そうそう、それも考えたんですね。すると、どこかで「大人の自分」が「じゃあねんねしてから、おとーさんが仕事している時間は『今日』じゃないのか」とつっこんで。いやはや。




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 レオナルド・ダ・ビンチが、謎のほほえみを持つ絵画をなしただけではなく科学者でもあったと聞くと、まさに万能の天才だな、と遠い気持ちになる。しかも、解剖学から動物・植物学、数学、機械工学にいたるまで専門分野を問わない。 いま、科学は専門化している。自然科学だけではなく、人文、社会科学においてもそうだ。歴史が専門というだけではなく、どの国か、あるいはどの時代かが問われるように。 だけど、たとえば地球温暖化を解決するためには、自然科学的なアプローチだけでは不十分だ。先進国と開発途上国との協力関係や経済発展に与える影響など、政治学、経済学、法学といった、人文科学や社会科学まで含んだ幅広い検討が必要になる。 だから、縦割りで体系化されてきたこれまでの科学技術の視点じゃなく、あらゆる科学知識を総動員した研究をしようというのが、「社会技術」だ(朝日2月2日)。 社会技術は、地球温暖化のような大きなテーマに適用されるだけではない。たとえば工場での作業手順。部品を間違えることが多いのならば、技術的な側面ではなく、それぞれの部品に「太郎」「花子」あるいは「東京」「大阪」なんて名前をつけておくといいかもしれない、という検討。あるいはマニュアル違反が多いならば、それは違反すると楽だからかもしれない。では、安全な作業がもっとも楽になるように手順を考える。 社会技術は、人間的な側面を重視して、科学体系を組みかえることでもある。いま、情報技術がクローズアップされているけれど、21世紀は社会技術の時代にもなる、そんな気がするんだ。

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 大身体差時代、なのだそうである(日経2月4日)。確かに父母の世代よりずいぶん背が高くなったとは思うけれど、ことは身長だけではない。 たとえば頭。上から見た形がどんどん円形化している。50年前を100とすると、前後の長さが103.6、横幅が105.2と、横の伸びが大きい。ヨーロッパでは逆に前後の伸びが大きく長頭化に向かっているというから不思議。 たとえば足。1920年生まれと80年生まれでは、平均値が男女とも1センチ伸び、それぞれ25.5センチ、23.5センチとなった。形も幅広から細長へ向かっている。 ちなみに身長は1880年の成人男子平均が161.5センチ、1991年の20歳男子は171.4センチだから、10センチ伸びている。頭の長さは23.7センチから23.9センチとそれほど変わっておらず、まさに「八頭身」へ。一方で脚の長さは77.1センチから87.6センチ。つまり全体としてみると脚長へ。 かっこいい体型になりつつあるともいえるのだろうけれど、喜んでばかりもいられない。家庭内の階段事故を国民生活センターが分析したところ、10歳未満に次いで多かったのが、なんと20代で、60代を上回っていたのだとか。脚の長さと階段の高さがあわなくなってきたという説が有力視されている。 大身体差時代を迎え、従来の基準で作られた製品に見直しが迫られている。住宅や、衣服や、眼鏡や。マネキンの形も現代風が求められ、靴も立体計測した顧客の足にあわせて作られたりする。サイズに対する不満が消費を縮める原因ともいわれるけれど、それはまたビジネスチャンスでもあるのだ。

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