ざつがく・どっと・こむ
ちょっと知的な雑学&トリビア

しあわせですか

2004年6月24日 【コラム
Share...Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedIn

 あなたにとって、幸福とはなんだろう。先進国においては、収入や社会的地位は、幸福感につながらないという。ワールドウォッチ研究所によると、年収1万3000ドルを境に、収入が増加しても主観的幸福感があがりにくくなるのだとか。自分を幸福と感じる人は状況が変化してもそれを保っているし、そうでない人は、ずっと幸福感が薄い。
 社会心理学のバリー・シュワルツ博士は、選択肢の増加が幸福感を減少させている、と指摘している。選択肢が無い世の中がいいというわけでは、もちろんない。決まった線路は走りたくない、でも、仮に無数の切替ポイントがあったとすると、ああやっぱりあちらの線路にいけばよかったと悩むことが多くなる。そういうことらしい。
 これは意思決定論のカーネマンも指摘していることだけれど、人は、利益より損失に対して強く反応する。選択肢が多いと、結果的に選ばなかった選択肢も増えるから、それが後悔を生み、幸福感を相殺する。選択肢がある一定水準を超えると、差し引きして負の感情の方が多くなっていくのだ。
 それを避けるために、シュワルツ博士はこんなアドバイスをしている。まず、最高のものを選ぼうという思いを無くすこと。自分が満足できればよしとする。また、行きつけの店で買うと決めておくなど、選び方をまず選ぶ。そしていったん決めたら、ありえたかもしれない選択に思い悩まず、選んだもののプラス面を重視する。
 子どもから高齢者まで、さまざまな層の幸福感調査に目を通す。気になったのは、子どもの世代で、かつてより今のほうが幸福感が減少していること。親たち自身、自分たちの世代より子どもたちの方がしあわせになると信じている人が少ない。それはなんだかとても悲しいことで、ぼくたちはずっと、よりよい社会のために苦労してきたはずなのに、どうして未来が信じられなくなったのだろうと、自分の心に何度も問い直している。

Share...Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedIn

16 comments to...
“しあわせですか”
Avatar
小橋昭彦

先進国での幸福感に関する調査は、「David G. Myers」博士などによるものです。博士自身による「幸福感を抱くためのアドバイス」もこのサイトにあります。ワールドウォッチ研究所のレポートは、「State of the World 2004」ですが、BBCの報道「Richer stouter and no happier」もご参考に。それから、文中に述べたシュワルツ博士は、「Barry Schwartz」で。関連して、英語ですが幸福感関連のサイトとして「WORLD DATABASE OF HAPPINESS」「Authentic Happiness」もどうぞ。日本国内及び国際比較した幸福感調査は、「世界青少年意識調査」「高齢者の生活と意識に関する国際比較調査結果の概要」「モノグラフ・小学生ナウ」「7つの都市の子どもたち」「情報化と生活意識に関する国際比較調査レポート」などでどうぞ。


Avatar
よう

今まで一番幸せだと思ったのはナカナカ授からなかった子供が授かった事を知った瞬間でしたね
胸の内から暖かい涙が溢れて来たのを記憶しています。
産まれて来るまで
産まれて来て
育ててながら
子供に接する時間だけが「幸福感」そのものでした
物でもお金でも名誉でもなんでもありません。
その時間だけが「幸福」です。


Avatar
Black Cat

確かに選択肢の増と幸福の可能性の増が比例することはないと思う。選択肢が増えていいというのは売る側の論理で、普通の人間は保守的になりがち。仕事で確定拠出年金を扱うことが多いが、平均で12種類、多い企業では40種類を超える運用商品から自分に「最適」なものを重複分を含め「自由」に選択可能、といわれ多くの人が立ち止まる。そこには選択出来ない自己に対する苛立ちと多すぎる選択肢を提供した会社への反発心が複雑に絡むことが多い。やはり多くの日本人は定食人種であり、好きな物を自由に選ぶビュッフェ型は苦手らしい。選択肢の増が幸福よりストレスを増幅する例が日常茶飯である。かといって…というのが本音。


Avatar
マーモット

月並みですが、家族の健康。皆で暮らせる、一緒にいられることが何よりの幸福です。何事かあっても、家族がいるから踏ん張れる。よりよく(人として)生きて行こうと努める。そんな力を家族からもらっています。


Avatar
吉田 正太

お久しぶりで書き込み致します。僕も大分遠い昔から、「幸せって何だろう?」と言う事を考えてまいりましたが、今は胸を張り、なんの迷いもなく言い切る事が出来ると思います。それは、「愛する人の側で愛し愛され続ける事だ」と言うことです。しかし、力がなければ、いつその愛が引き去れるやも知れません。愛する人と、その関係を守る力として、二次的に、お金や地位、名誉、あるいは能力や腕力、ルックスや見栄え等の「力」を手に入れ、そして人は幸せになれるのだと思います。
今の世の中がパッとしないのは、子供が少ない所為でしょう。「子供が世界の中心でなければ」と思います。子供らしい子供はただそこにいるだけで、世の中に活気と希望と明るさと優しさや勇気を広めます。天然の力でしょう。
選択肢が多いと言うのには少しよく分からないですね・・。一人の人間に与えられてる選択肢はそれほど多いでしょうか?むしろ僕は、現代は一本の川の流れのようで、その流れに逆らうのに必死、って感じでいます。。現代において不幸な気がしやすいのは、全体的に良心的でなくなってきてるからではないかな?と思いました。例えば、僕の家の前にある当たりつきの自動販売機も、昔は毎日買えば一ヶ月に1本、運がよければ2本くらい当たってたかもしれないのに、今は半年買い続けても1本も当たらない始末・・。当たった時、缶ジュースが当たった事が嬉しいと言うよりも、その自動販売機の当たり率の設定の高さを甘く調節している自動販売機の持ち主の良心的な心が嬉しいのだと感じるのは僕だけなのでしょうか・・?


Avatar
吉田正太

ちょっと訂正
文章の最後のへんの、「缶ジュースが当たったと言う事が嬉しいと言うよりも」は「缶ジュースがもう一本飲めると言う事が嬉しいと言うよりも」の間違いです。すいません。


Avatar
小橋昭彦

みなさんが指摘されている通り、米国などでの調査結果で、幸福感と相関するのが「結婚」「未婚」「離婚経験」という項目でした。年収や名誉は幸福感につながらなくても、親しい人との関係は、幸福感に影響するのですね。

それから、米国では、信仰心も幸福とつながっていたそうです。日本ではどうでしょうね。


Avatar
sansara

>気になったのは、子どもの世代で、かつてより今のほうが幸福感が
減少していること。

同感です。

>ぼくたちはずっと、よりよい社会のために苦労してきたはずなのに。

そうですね。
この点については、私はこう考えています。

会社のオーナー(小橋さんのことです)や、自営業者の皆さんは
まずキャッシュが「出」て、それから売上げが立つなどして、
キャッシュの「入り」が立つ、このことを肌身に沁みて体得しています。

一方、サラリーマン(私のことです)は、給与明細の世界しか
知らない。つまり、まずキャッシュの「入り」があって、それから
「出」が立つ。

先に「出」が立つ人は、不確実性を知っていいます。
そして意思決定を知っています。更に運不運を知っています。

世の中の制度設計に当る人々に、不確実性、そして意思決定の
素養が無くなって来た、ないし「入り」が先に立つ人の人口構成比が
6割を超えたあたりから、日本は「よりよい社会のための苦労」が
空回りし始めたように思います。

○関連URL
・経済的格差は、日本社会に何をもたらすのか
http://blog.melma.com/00106219/20040607112502
・レーガンがやったこと、あるいは中田英寿の「帰るべき場所」
http://blog.melma.com/00106219/20040616100010


Avatar
Kinok

本来の論点とは違うのかも知れないのですが、「足を知る」ということに読めてしまいました。
確かに幸せとは個人の領域で決定されるもので、形としての幸せというのは66億通りだろうと思われます。が、形では形がなされると最早それは幸せではなく、心の問題となり、無限ループに陥ります。だから、足を知るという話になるのですが…
衣食住が足りて礼節を知る… 足を知るにしても、どちらも嫌いな言葉です。
醜くも、足掻きながら、次の自分を絶えず探すことができる魂を持ち続けることが私の幸せなんですから。


Avatar
KANA

人は、利益より損失に対して強く反応する。

すごく納得できました。
記憶も、幸福なものもたくさんあるはずなのに、不幸なことばかり強く残っている気がします。


Avatar
小橋昭彦

日本での幸福感アンケートについては、下記、大阪大学社会経済研究所筒井義郎教授のサイトの論文が有益。
http://w3iser.iser.osaka-u.ac.jp/~tsutsui/gyoseki/gyosekina.html


Avatar
小橋昭彦

BBCの「The Happiness Formula」も要チェックです。
http://news.bbc.co.uk/1/hi/programmes/happiness_formula/default.stm


Avatar
小橋昭彦

あと、こちらは環境負荷の少なさを重視した「幸福な国」ランキング。「The Happy Planet Index」
http://www.happyplanetindex.org/index.htm


Avatar
しゃあ

生きていくのに不自由は無いが 退屈な人生と
波乱万丈で かなりハードだけど充実の人生。
どちらが幸福でしょうか。
選べないボク。


Avatar
雨野寂

初めてコメントさせていただきます。
幸せっていうのは、実は漠然としていますね。
「瞬間的感情」のときもあるし、「状態」を言う場合もあります。
前者は自分が感じる幸せ、後者は他人が評する幸せ。
前者は絶対的、後者は相対的。
本当の幸せは絶対的なものだと思うし、それであれば収入や地位とは無縁ですね。
ところで、現代は職業選択が自由過ぎ、選択肢が多すぎることが大多数の凡人たちに不幸を招いているようにも思えます。


Avatar
松本

生きている・・・
それだけで幸せです。




required



required - won't be displayed


Your Comment:

 数学問題を解くシーンで涙してしまうとは思わなかった。80分しか記憶が保てない数学者を描く、小川洋子氏の『博士の愛した数式』。彼が愛したのが、素数だった。1とその数自身でしか割り切れない数。人はなぜ、素数にひかれるのか。 アメリカでは17年ゼミの大量発生が話題になっている。17年に一度、一斉に地上に出て子孫を残す。ほかに13年周期ゼミもいて、1998年にはミズーリ州で17年ゼミと13年ゼミが同時発生、221年に1度の椿事となった。日本では年がずれるけれど、7年周期が知られている。17、13、7、これらすべて、素数。なぜそうなるのか、定説はない。たとえば2年周期のセミがいたとする。4年周期、6年周期がいると、発生が重なって交雑が進む。すると周期が崩れ、異性に会う確率が下がり子孫が減る。3年周期のセミがいると、6年、9年周期などのセミが減る。こうして、互いに割り切れない素数のセミだけが残る。 この仮説で用いた考え方、素数を見分けるエラトステネスのふるいとして知られている。数を順番にあたり、素数が見つかると、それ以降その倍数を消去していく。最後まで残ったのが素数だと。古代ギリシアの時代から、素数は数学者を悩ませてきた。無限にあるという証明はすでにされている。また、ある数字と、それを倍にした数字の間には、かならず素数がある。数が大きくなっても、素数の出現頻度はそう変わらない。4以上のすべての偶数は2つの素数の和で表すことができるという予想もある。たとえば34は29と5。たぶん予想は正しいのだけれど、証明はされていない。何千万桁目かの偶数で、そうじゃないものが見つかるかも知れない。 家路に向かう夜、屋根の向こうの北斗に目を奪われ、しばらく星空を散歩していた。北極星を回りこむ雄大なりゅう座。西にアルクトゥルスが傾き、そばに天のかんむり。東からは天の川とともに白鳥が昇る。ああ、と納得する。目の前に確かに見えているのに、手が届かない。素数は、星空に似ている。

前の記事

 ぼくたちは一般に、五感の中で視覚を優先的に考える傾向がある。だけど実際は目を通してのみ「見ている」のではない。セキュラー博士らが考案し、下條信輔博士らが発展させた実験がある。画面の上部両端に円盤がある。それらが対角線上を移動し、中央で重なって下の端に移動する。この動画を見て、大半の人は円盤が互いを通り抜けて対角線を端から端へ移動すると見る。しかし円盤が重なる瞬間に音を出すと、7割から8割の人が中央で互いに跳ね返ると判断する。 音の出し方も視覚に影響する。光の点滅を見せながら断続的な音を聞かせると、実際の点滅は1度なのに、音の数だけ点滅したように見える。あるいは、運動方向のあいまいな視覚刺激を見せながら、たとえば上昇する音を聞かせると、図も上昇しているように見える。音程の「高い・低い」が視覚的な「高い・低い」に影響するわけだ。 ぼくたちほ乳類は視覚が弱い。霊長類こそ例外的に緑の視物質を取り戻したけれど、基本的に赤と青の二種類しか感じとれないのだ。その分、聴覚は「あぶみ」「つち」「きぬた」という小さな三つの骨が組み合わさった耳小骨を持ち、繊細な音を聞き分けている。これをたとば恐竜と比較すると、恐竜にはあぶみ骨しかないから聴力は貧弱。一方で視覚は、仮に現在のは虫類や鳥類なみに、赤・黄・緑・青に対応する視物質を持っていたとすれば、豊かだ。進化の過程で、は虫類や鳥類は昼間に活動したが、ほ乳類はそれを避けて夜間に動いたため、視覚より聴覚が発達したと考えられている。ぼくたちの祖先は、闇の中で耳を澄ませて生き抜いてきたのだ。 昨夜、長男のリクエストで、庭で花火を楽しんだ。火が消え、皆が口をつぐむ瞬間。煙が風に流れていくのを見ながら、ふと、虫の声を意識する。「静かだね」「ほんとに」そんな会話をしつつ、ぼくたちはこうして静寂を楽しむ時間を、ほとんど持たなくなってしまったと、そんなことを考えていた。

次の記事