数学問題を解くシーンで涙してしまうとは思わなかった。80分しか記憶が保てない数学者を描く、小川洋子氏の『博士の愛した数式』。彼が愛したのが、素数だった。1とその数自身でしか割り切れない数。人はなぜ、素数にひかれるのか。
アメリカでは17年ゼミの大量発生が話題になっている。17年に一度、一斉に地上に出て子孫を残す。ほかに13年周期ゼミもいて、1998年にはミズーリ州で17年ゼミと13年ゼミが同時発生、221年に1度の椿事となった。日本では年がずれるけれど、7年周期が知られている。17、13、7、これらすべて、素数。なぜそうなるのか、定説はない。たとえば2年周期のセミがいたとする。4年周期、6年周期がいると、発生が重なって交雑が進む。すると周期が崩れ、異性に会う確率が下がり子孫が減る。3年周期のセミがいると、6年、9年周期などのセミが減る。こうして、互いに割り切れない素数のセミだけが残る。
この仮説で用いた考え方、素数を見分けるエラトステネスのふるいとして知られている。数を順番にあたり、素数が見つかると、それ以降その倍数を消去していく。最後まで残ったのが素数だと。古代ギリシアの時代から、素数は数学者を悩ませてきた。無限にあるという証明はすでにされている。また、ある数字と、それを倍にした数字の間には、かならず素数がある。数が大きくなっても、素数の出現頻度はそう変わらない。4以上のすべての偶数は2つの素数の和で表すことができるという予想もある。たとえば34は29と5。たぶん予想は正しいのだけれど、証明はされていない。何千万桁目かの偶数で、そうじゃないものが見つかるかも知れない。
家路に向かう夜、屋根の向こうの北斗に目を奪われ、しばらく星空を散歩していた。北極星を回りこむ雄大なりゅう座。西にアルクトゥルスが傾き、そばに天のかんむり。東からは天の川とともに白鳥が昇る。ああ、と納得する。目の前に確かに見えているのに、手が届かない。素数は、星空に似ている。
小川洋子『博士の愛した数式』、お薦めです。並行して、やはり素数好きの『数の悪魔』もどうぞ。さて、素数は今ではコンピュータで探します。「素数探索プロジェクト」「GIMPS Home Page」「日付素数ランキング」などであなたも参加してください。素数については「わたしの素数」「素数について」「素数-Wikipedia」などの解説がていねい。「素数大好き」「The Prime Pages」も参考にどうぞ。周期ゼミについては「アメリカの周期ゼミの部屋」「Cicada Watch」あたりで。
蝉の発生周期が素数だらけという点は、非常に興味深い事実だと思いますが、「交雑が進み、周期が崩れ、異性に会う確率が下がる、云々」はなんだかコジツケのようにも思われます(だって、単純に考えると17年間も地中に居れば、その間に何が起こるかわからないけど、毎年発生するようにすればより確実に出会えそうだもの)
話題が素数だけに、割り切れないものを感じますね(なんつって)
毎年発生すると、その数に応じて捕食者の数も増えてしまいます。特定の年にのみ大量に発生することにより、集団として、被害が低減されるのではないでしょうか?単なる推測ですが。
素数・完全数・三角数・約数などなど。
実は私たちの身の回りに、普通に存在しているのに気付かないだけなのですね。
野に咲く花の葉っぱのつき方も(葉序)フィボナッチ数列だという。
ダーウィンの進化論の自然淘汰が繰り返されて素数周期で発生する蝉に落ち着いたのでしょうか。
(ダーウィン以来という本を読んで居るところですが難しい…)
博士が書き残したオイラーの等式「eiπ + 1 = 0」は難しくってよくわからないけど、円周率と自然対数という全く起源が異なるものを結び付けているらしい。
全く違うものを結びつけて、それに1を足すと0になる。
…博士の言いたかったことが、なんとなくわかるような気がしました。
えさん、ありがとうございます。
はい、そうした仮説もあります。また、素数による発生だと、天敵に遭遇しにくいという説もあります。どちらかというとそうした説のほうが一般的のようですね。コラムでは、周期ゼミそのものがテーマではなかったので、あまり詳しく紹介できませんでした。
華花さん、ありがとうございます。そうですね、自然の中に数学が隠れている。以前「癒しの由来」というのを書きもしました。いろいろ、おもしろいです。
『博士の愛した数式』、素敵な話でしたね。
博士、ルート、そして「0」の発明。
しっかりと安定して、輝くもの。
数学の苦手なボクは、ずいぶんと数字に対する印象が
かわりました。
素数は、星空に、似ている。うん、これもいい。
円周率や素数、無限に続きそうで謎に満ち溢れているものってすごく惹かれます。
星空のようにロマンで溢れていますよね。
素数による発生だと、天敵に遭遇しにくいという説は「フェルマーの最終定理」
にも載っていましたね。数学者をひきつけてやまない蝉のようです。